Thursday 31 July 2014

日焼けとイタリア人

イタリアで夏にぐるりと見回すと、人より濃い小麦色の肌に優越感を感じる人が多いってことに気づく。(夏に限らず、そしてイタリア人に限らず。)
背中のシミや、やけどに近いような日焼けもお構いなし。日焼けしたい人は、綺麗に焼くことはもちろん頭の隅に置きつつも、人より黒くなることが最優先になっているように見える。
(小さな街でも日焼けサロンなるものが必ずあったりするので、こんな人は冬場も日焼け肌で通す。)

うちの大家さん一家、リグーリア州に別宅を持っている。もちろん海の近くで、頻繁に家族が代りばんこに遊びに行っている。大家さんは若い頃は水球の選手で、泳ぎが得意な方。今はもうお歳だし、事故か病気か、少々体が不自由なので、バリバリとしたスポーツマンタイプには見えないけれど、地元チームの練習につきあっている様子。
娘夫婦はダイビングをするし、息子は地元の水球チームで練習している。こんな方々だから、別宅の場所にリグーリアの海そばを選んだのは納得。

その大家さんの奥さん、70歳前後の方で、色白。毎年この時期(7月後半)になると、苦行のようなことを始める。
屋上テラスで太陽に慣れるための”日焼け練”をするのだ。
日焼けすると赤くなるだけで、数日後にはすぐに痛がゆくなり、辛い思いをするだけ。
だからそれを和らげるために、前もって準備するのだとか。

今日も洗濯物を取り込みに屋上に行くと、水色のビキニ姿の大家さんの奥さんが。
「あぁ、驚かせたいわけじゃないのよー。驚かせちゃったらごめんね」と。
「今から少しずつ準備しないとね」と、日焼け止めローションを塗りたくる。

今年は雨ばかりとか、この湿気にはやられるとか(日本に比べりゃ屁の河童、ところで「屁の河童」って何?)、日焼け準備する理由とか、ひとしきり話したあと、、、。最後に。

「好きでやってるわけじゃないのよ、この日焼けの練習、、、嫌なの、本当は」と。

そ、、、そうなんだ。
だったら、日焼けしに行かなきゃいーじゃーーーん!
海のそばだからって、日焼けは義務じゃないのよー!

海に行くことは好きだとしても、パラソルでがっちり守るとか、対処はあるだろうに、、、。なぜか毎年、自ら苦行をする奥さん、、、。

せっかく毎年続けているので、面と向かって言えなかったけどね。


Thursday 24 July 2014

質が悪いの? 私が悪いの?

あるモノを壊し続ける私。あるいは、壊れ続けるモノ。
5ユーロもしないものだけど、何度買い替えたことか。
今月なんて2個も壊してる。

麦茶の季節ですよね? うちは母の愛で今年は麦茶が手に入りました。だから毎日麦茶や水だし緑茶などおいしくいただいていたわけなんですが、、、。

そう、壊すのは、あのポット。夏になると冷蔵庫の扉側に陣取るあのガラスのジャーですよ。壊すというより、割れる、だね。

初回は不可抗力。水出しのお茶が手元にないときに、茶葉でお湯から出そうとして、沸かしたてのお湯を注いだら、爆発!
そんなに温度差あったか? 熱湯もOKの耐熱ガラスのはずなのに。

その後、洗っているうちに何度か割れ、ネコに遊ばれテーブルから落ちて割れ、、、。

これって、私が悪い? ガラスの質が悪い?

ガラスものでも陶磁器でも、壊れないものって本当に壊れないじゃない?
うちの姉が使っていたお茶碗なんて、30年以上は同じものだったと思う。小さいときからたまたま大人サイズのお茶碗だったし、割れなかったからそのまま使い続け、何度落とそうが割れず、最後には母がつるっと手をすべらせて欠けてしまったけど。

このガラスポット、どこのスーパーでも売っているメーカーです。ガラスタッパーもあって、水色のふたで、、、といえば、在イタリアの方ならばピンとくる、あれです。
決めました。あれは買わない、もう。

相方に「プラスチックを買えば?」と言われたけど、プラスチックではいきなり熱湯を入れたくないし、茶渋が付くのも汚らしい。だからガラスにこだわりたいのだけど、高いものは買いたくない(割るしさ)。

ところで、I○EAのワイングラスとコップも何度割ったか数知れず。
酔っぱらって皿洗いをして、立て続けに3個割ったことは今でも笑い草(これは私が悪い、かな)。

こうして同じものばっかり割れるんだから、私が悪いんじゃなくて、質が悪いんだよね。
(3個立て続けに割ったワイングラスは別として)質が悪いことにしとこ。うん。


Saturday 19 July 2014

とっくに始まってました。ボローニャ国際絵本原画展@板橋美術館


いやいや、もうそんな季節でした、、、。って7月5日から日本巡回が始まってますね。

イタリア・ボローニャ 国際絵本原画展

見に行くとね、素敵な絵に会えるんですよー。ホント、行って見てくださいって。



Tuesday 8 July 2014

あたしにゃ真似できない、、、不届きな乗客

6月末で担当しているヨガクラスが終了して夏休みに。
習い事が数カ月も休みになるイタリア。まだまだ納得いかない私ですけど、、、。

そんなわけで、バスに乗る回数もぐぐっと減りました。

イタリアでバス(私の場合は、街中の周回バスではなく、都市間の中距離バス)に乗るようになって見かけるびっくりな客。総集編でいってみましょー。

・携帯おしゃべり率が高すぎ(序の口)
バスに始まったことではないけれど、非常に携帯おしゃべり率が高いイタリア。そんなにしゃべり足りないのか?と思うほど。
私が乗るバスは30〜40分かかるけれど、その間ずーっとしゃべり続ける客はざら。一回切れても、またかけるか、すぐにかかってくるか。正直、うるさい。
客はまだしも、運転手もやるので、これはちょっとやめてほしい、、、。

・押し通す高校生
私が乗るバス停は、出発点から数個目のところ。ある日、高校生くらいの女の子が2人、私が乗るバス停で降りてきた。
むむ? 乗ったばかりで降りるの?
おかしいなと思ったら、運転手もおかしいと思ったらしく「定期、持ってるの?」と聞くと、「ありませんけど」と、しらっと言い切る。
「それならチケットは?」と運転手。「乗ったときに打刻したけど」と女子2人。
でも、この打刻したチケットとは、このバスがA地点からB地点まで行く間に打刻されたもの。このバスはB地点が終点で乗客を全員降ろし、再度B地点からA地点に戻るバス。基本的にはチケットを買い直して乗るもの。
この2人は終点であるB地点でバスの座席に隠れて過ごし、B地点から新たに出発したバスに平然と居座り、数個目で降りようとした様子。
「え、だってチケット打刻したし、別のチケット買ってないもん。私の降りたいバス停はここだから」と無理矢理降りて逃げた女子2人。
え、、、何様?

・テキトーなおっさん
バスに乗り、チケットに打刻しようとしたけれど、打刻する機械がうまく動かないので何度も打刻しようとするおっさん。
運転手がおっさんのチケットをチェックして(しかもヨレヨレのチケット)、「このチケットは別会社のチケットですよ。このバス会社のバスは駅の反対側!」と言うと、「チッ」と舌打ちして、「まぁ、いいじゃないか」と言って乗り込んだ。
え、いいのか? 打刻できてたらラッキーって思ってたの?
チケットをチェックする係員は乗ってこなかったので、このおっさん、自分の降りたいところまで普通に乗っていきました、、、。

・素直なんだか、何なんだか、、、。
ご機嫌に乗ってきた高校生くらいの男の子。運転手に「チケットは?」と聞かれると、「え? いるの?」と。
いるでしょ、普通は、、、。
「じゃ、売って下さい。」
じゃ、って、、、何それ、、、。
でも、この男の子、50ユーロ札しか持ってなかった。
私が乗るバスは、運転手がチケットを持っている場合は売ってくれる。外のチケット売り場やエディコラ(キオスク)で売っている値段よりも少し高くなるけれど。でも、お釣りは大概もっていないので、50ユーロ札では売ってくれない。
「小銭はないの?」と運転手。男の子は「僕ね、さっき350ユーロの携帯電話を買っちゃって、今はこれしかない」と言う。運転手は「350ユーロもする携帯電話を買っておきながら、バス代(1〜3ユーロくらい)は出せないのか!」と言い、「チケットをバス停の前で売ってるところで停めて待っててやるから買ってくるか? さもなければ降りろ」と。
「えー! だってお金ないんだよ、僕!」と。
いや、あるやんか、、、50ユーロも。
降りるのか、乗るのかと問答が2分ほど(長っ!)続き、結局乗り込んできた男の子。
最終的には素直に運転手の指示で、途中のバス停で降りてチケットを買ってきた、、、。


最近見た客はこんな感じ。真似したいとも思わないし、真似しようと思っても度胸がないからできないよ、あたしにゃ、、、。

おまけで、先日電車で見かけた、優しいんだか何なんだかわからない場面をひとつ。
うちの近所の駅は、上りと下りが待ち合わせて出発するのが基本。(別に単線路線じゃないけど。)
先に来た上りの電車に乗っていると、下りの電車を待っている間に切符確認をしにきた車掌さん。
私の近くにいた、えんぴつのように細くて、ひょろっとした、これまた高校生くらいの男の子のチケットを確認。打刻していない。「これは打刻しないとダメなんだよ」と教えてあげるものの、男の子は「あ、、、」とわかったのかわからないのか車掌を見上げ、すぐに寂しそうに空を見つめている。男の子はひとり。連れはなし。
この車掌さん、面倒だったのか、そのままチケットを引き取り電車を降り、線路を渡って駅舎に向かい、その切符に打刻してあげて戻ってきた。
そして、「こうやって打刻するんだよ」と。

この男の子、チケットを持っていかれても、どこに持って行かれたのか確認もせず、わざわざ自分のために車掌が電車を降りて、線路を渡り、打刻してきてくれたことなんで何にも気づいていないし、打刻したチケットを渡されても無言でお礼も何もなし。

イタリアではひとりで電車に乗っていい年齢とかそういった規定があるはずなので、この子は少なくとも高校生以上なはず。
打刻が必要なことを知らなかったとしても、この無反応さはないでしょう。車掌も何かおかしいと思って打刻してきてあげたのかもしれないけど(別のもう少し年上に見える女の子には自分で打刻しに行かせていた)、何がどう必要なのか教えてあげるならば、きちんと教えてあげなきゃ、この男の子は何も覚えないでしょう。

驚きとともに、これからのイタリアを担っていくはずの若者がこれじゃね、、、と冷たい目線になってしまうよ、本当に。これまでも、これからも、まったく変わらないのかしら。自分がやりたいことだけ押し通して、やりたくないことには無反応なのかな。ちょっとイタリアの縮図を垣間見た気分。


Wednesday 2 July 2014

母の愛はプライスレス

わが家の洗濯物を干すスペースは屋上にある。アパートに住んでいる5家族共用スペースだけど、わが家だけベランダがないので、小物以外はここに干しに行っている。

一昨日、干しに行っている隙に郵便が届いて不在票がポストに入ってた。
大概、夜に作業する相方は夢の中。玄関のブザーが押されようと、99%気付かない。
(ちなみに、起きてて相方の仕事部屋にいるときでも聞こえにくいようで、ほぼ気付かない。毎度毎度、ちっと舌打ちする瞬間なのだ。)

不在票を見ると、海外からのお届ものの様子。今のところ待っているのは、母に頼んだ日本から届く荷物と、アメリカの通販で注文したサプリ。

どっちだろうか。郵便局に受取りに行かないとわからない。

昨日、早速郵便局に受取りに行くと、出てきたのは母からの荷物。わーい!

「15.90ユーロです」

「…」

ガーン! お財布の中には15ユーロあるかないかくらいだったかと、、、。なかったら受取れない!

お財布を見る。ギリギリ、16ユーロちょっとあった! セーフ!

でも実際、不本意。
よくわからんのだ。関税がかかるときとかからないときがあるのはなぜ?
今回は母はバカ正直に内容物の値段を記載した。合計6500円ほど。何にかかったんだろうか。
本1冊、お茶4パック、おもちゃ2つ(もちろん電池なし)、アンパンマンムヒパッチ(これがメイン)、葛根湯(ご丁寧に地元の郵便局の指示で、Chinese medicineと書いた母、届いて良かった、、、)、以上。
面倒なので今税率を調べてないけれど、全体で約35%の関税を取られている。(手数料込みだろうけど)
むむむむむむ、、、、。正直、イタイ出費なのだ。

悶々としながら、荷物を小脇に抱えて帰ってきた。歩きながら「母の愛はプライスレス、母の愛はプライスレス」とつぶやきながら。

この季節の必需品、ムヒパッチを通販で買って、それを母に送って欲しいと頼んだのは私。せっかくだから、他のものを入れてくれたのは母。麦茶、嬉しいわよ、もちろん。葛根湯だってありがたいよ、本当に。愛は、そりゃもう、プライスレスよー!

でも、何もお咎めなくスルーして届く似たような荷物と、関税を要求される荷物の差は何ナノだろうか、、、。

しかも、これまで関税を取られて、明細をもらえたのは一度きり。求めても「これしかないのよ」と郵便局側に持って行かれる。何にいくらかかっているのか知りたいんだけど。
領収書もないってどうなの?

調査不足もあるけれど、郵便局で局員相手に騒いでも何ともならないのは確実。それに受取りたいという気持ちが先だし。

せめて、不在票に「関税がかかるよ」くらい書いておいてくれてもいいのに。前は走り書きで書いてくれたのに。

ぶーたれる毎日だけど、「家族の愛はプライスレス」をテーマに乗り切るしかないわ。

今回は2週間で届いた小型包装物。母の愛に免じてここんとこは褒めてあげようじゃないの! イタリア郵便局!