Thursday 20 February 2014

恐怖の「あのねー」 (言葉について思ったこと その2)

英語の「you know」、イタリア語の「sai」、日本語の「知ってる」について自分の思うことを書いた続きです。(こちら

英語の「you know」は適当に考え克服し、イタリア語の「sai」はあることを切掛けに克服しつつあると書きましたが、、、。

その切掛けとは。

うちの相方は、日本語は話せません。でも、時に私は日本語で話しかけます。
会話はなりたたないので後から言い直しますが、相方の仕事部屋に入り、机に向かっている相方の背中に最初にかける言葉はこれ。

「あのさー」や「あのねー」。(日本語で)

そして、これを切り出されると、相方は相当ビクッとするようです。

はて? なぜ?

とりあえず会話を続けますが、先日も相方は首をすくめてかなり嫌悪感を表したので、大した用事でもないし、、、ということで話したいことを話すのを止めました。

なぜ、相方はこんなに「あのねー」と話しかけられるのが嫌なのだろうか。
これまでにも何度となく使ってきた。
「あのねー、今日面白いことがあった!」
「あのさー、今日の午後、スーパーに買い物に行かない?」
などなど。

嫌悪感を抱かれる内容を言ったかしら、、、?
言った、、、かも、、、?
「あのね、お皿をゆすぐときは手でも触って、汚れが落ちているか確認してよ」
「あのさー、部屋の掃除しなさいよ」
こういうチクチクささる言葉、言い過ぎたか? いや、そんなにナイーブなのかい?

先日、突如気づいた。
「あのねー」や「あのさー」の後に何となく間を置いていたから、自分では呼びかけの意味合いを強くしたつもりだったけど、これって英語「you know」であり、イタリア語の「sai」と同じではないか、、、。

だとすると、私が持っている嫌悪感(前回のポストご参照されたし)と一緒?

それならば、「自分がされたら嫌なことを人にするな」の黄金法則?

あぁ、きっと、相方は「あのさー」だとか「あのね」と言われると、私からこれまで言われてきたことがトラウマのようにすり込まれて、どんな話題だろうと聞きたくないわけだ。

私がイタリア語の「sai...」に抱く気持ちと似ているのかもねぇ。英語の「you know」は、実際に相槌でも解決することがある。もしかしてイタリア語も、、、?(怠け者なので、実際どうなのか調べていませんが、これで私の頭の中で納得いくことは多々あります。Saiの使い方にもよりますが。)

もしかして相方も嫌なのか?という感覚に陥ったら、黄金法則。自分が嫌なことは相手にしないほうがいいわけだ。

でも、私、嫌なことを言いたいつもりで「あのさー」「あのね」を連発するわけではない。
であるとすると、、、イタリア人もそのつもり? 私の中に嫌な経験が残っていただけ?

なーんだ、気にするだけ無駄な努力に感じてきた。

というわけで、流そう。大した意味もなく「Sai... 」と言われたら、流そう。

そうはいえど、大人になってから(しかも30代後半から)始めたイタリア語では、頭は柔軟に対応してくれないので、「イタリア人が"sai"と言った」→(そのまま直訳で自分が嫌悪感をいだく感覚で受取る前に)「受け流せばよい」→「"sai"を除いて意味を受取る」→会話を続ける、というプロセスが頭の中に生まれる。
頭の切り替えに必要なプロセスは入る。けれど、前より楽に会話を進められるかも?

そんな感じで、完全自己流で納得したわけです。

あくまでも自己流の解決方法ですが、こんなふうに他言語に慣れていくことってありませんか?

私はこれに気づいたからこそ、相方には今まで通り「あのね」「あのさ」と話しかけ続けて相方の恐怖の身震いを誘ってますけどね(人が嫌がることしてるじゃん!)。いつか、相方もわかってくれるのではないかと思って。その前に、相方は「あのね」や「あのさ」の呼びかけが何なのかわかってないと思いますが。

この自己解釈がどこまで通用するかわかりません。でも、言語って本当に面白い。
種類は違いますが、友人にクレオールやピジン(国境言語や国境沿いの独特の方言)を研究する教授がいます。本当に面白い課題を生涯研究として選んでいるなーと思います。
私ももっといろんな言語を学んでみたい気持ちもありますが、、、私の人生、どこまでできるかな。
自分の中では、ずっと漠然と学びたいなと思っているスペイン語、ヨガの勉強からつながるサンスクリット語、スペインから派生してカタルーニャ語を学びたいなぁなんて夢を抱いておりますが、、、。






Monday 17 February 2014

受け付けない外国語フレーズ (言葉について思ったこと その1)

母国語以外の言語を成長してから勉強して、会話で使うようになって、「この言葉だけはあかん、使いこなせない」というもの、ないでしょうか。
母国語話者だからこそ、身体に染みついてさらっと使えるけれど、後から一生懸命記憶しつつたたき込んだ身体には、そのフレーズの感覚が細胞まで染み込まないもの。

私にとっては、英語を話すようになり気づいたのは、相づちのように入る「you know」であった。
「ご存知のように」であったり、言葉の意味そのままで使えるときはよい。
既に成長した脳が記憶力を駆使して覚えた言語だから、覚えた方法に近い状況ならば受け入れやすい。
でも、たとえば、話者が言葉を思いつかず「ほら、、、あの、、、」と思い出しながらしゃべるときに使ったりする「You know,,,」などは、そのまま言葉の意味を直球で捉え過ぎてしまっていた。
後から続くフレーズの内容が実際に私の知らないことだったりすると、「知らんもん、そんなの」と心の中でつぶやく。
用法の変化球が効かない。直球ストレートのみしか受取れないのだ。

これ、いつしか克服した。あんまり考えないようにしたのだ。要は、訓練の結果、変化球も打ち返せるようになったのだ。

そして今、イタリア語を話すようになって、嫌に耳障りな言葉がでてきた。相槌のように使う「sai」である。
最初に気になるなーと思い始めたときは英語にリンクして考えなかったけど、ある日「こりゃ、英語の"you know"だ!」と気づいた。その通り、イタリア語の「(tu) sai」は、動詞 sapereの二人称単数現在形。だから、直球ストレートの意味は英語の「you know」なのだ。

いずれにせよ、このフレーズに私は敏感に反応してしまうらしい。

イタリア人に簡単な質問「今、何時?」「お母さんはどこにいるか知っている?」など聞くと、「Sai che non lo so. 」という回答が返ってくることもしばしば(sai cheがつかないことも多いけど)。
「知らない」と答えているのだけど、ド直訳すれば「(私が)知らないことを(あなたは)わかっている/知っている」ということなのである。
イタリア語の本はあまり読まないので、本当はこのフレーズは疑問文で「知らないんだけど、、、(わかってもらえる?)」と言いたいのかもしれないなど、想像したりもするけど、この想像するのが面倒なので、やっぱり私はこれが嫌いらしい。

そして得意げに「Sai che .... ?」と始まる会話も多い。直球ストレートで捉えると、「…を知ってる?」というものである。
しかも、ほぼ私が知らないことを前提にして聞かれる内容なので、「知ってる?って聞かれても知らんがな、、、」と何となく肩を落としがちに聞いてしまうのだ。

実際、なぜ私がこのフレーズにこれだけ嫌悪感を抱くのか。
ある日思いついた。
日本語でも「○○って知ってる?」と聞かれて、知らない場合に「知らない」と答えると、「えぇーーー! 知らないのぉー?」といった仰々しい反応する人がいなくもない。私の友達にはいる。
これが小さい頃から嫌なのだ。「知らない」ことが恥ずかしくなってくるような言い方をされるから。そして「知らないことはそんなにいけないことかい?」とある日気づき、「知らなくってもいいじゃん!」と言い放つようになった。いや、これはトゲトゲしいよねぇ。こんなに言い放つことはなかったかな。

段々と、言いたい人には言わせておこうと、「知らないもんは知らない」と開き直るように、そして気にしないようにしていたけど、この気にかかるフレーズは、使い方の違いはあれど、外国語でも嫌悪感を抱くようになってしまったのだ。

英語の「you know」は使っているうちに「あまり考えないようにしとこー」っと気楽に考えて克服し、イタリア語の「sai」への嫌悪感は、つい先日起きたあるきっかけから克服しつつある。

その切掛けとは、、、。長くなるので次回に。

Sunday 16 February 2014

自由は遠からず、、、かな?

昨年の春にようやく手続きを終えて手にしたイタリアの運転免許。

「徒歩圏から脱出だ! あたしゃ、自由だ!」なんて意気込んでいたのは、イタリアに住み始めてすぐに身動きの取りづらさに激しく心も身体も抵抗していた頃。

いざ、2年半くらい経ってから免許を手にすると、「まぁ、そのうち、、、」なんて、運転もしないまま情けない状態になってました。

・相方の車のギアチェンジが硬過ぎて変えづらい
・相方が忙しくて、練習につきあってくれない
・天気が悪いから今日は運転したくない

とまぁ、あらゆる理由をこじつけ、数ヶ月放ってしまい、昨年9月。
突如、私が車の運転を覚えて何とかしなければならないという用事が発生することに。
急ぎではなく、追々はひとりで運転しなくちゃ、という状況。週に一度の用事なので、当面は相方に迎えに来てもらうことにしていた。

その2週間後、、、。

相方の車、廃車。チーン…

幸いなのは事故を起こさなかったこと。弟の家に行って、さぁ帰ろうと思ったら、エンジンがかからなくなった。
知り合いにみてもらうと、修理にはかなりお金がかかる部分が壊れているとのこと。ときどきあるアホみたく安い中古車が買える価格である。
他にも壊れているところはたくさんある。
なので、そのまま廃車に、、、。

というわけで、私が運転することはほぼなく(イタリアに来た当初にスーパーの駐車場で一度運転したくらい)車はさよーならー。

そして私たちには車を買う経済力もなく、数ヶ月が経ち、、、。

義母が新車を購入! 古い車が私たちに来た! やたっ!

前置き長かったですが、数週間前にその車が私たちのところに来て、やっと私は重い腰を上げて練習することに。
実際、私はいつでも練習できるけど、腰がもっと重いのは教官役の相方ですけどね。

今朝初めて「練習は昼ごはんの前か後か、どっちがいい?」と聞かれた。
なんのこっちゃ?と思ったら、運転の練習という意味らしい。お、この腰の重い相方のやる気をそぐと、次がいつになるかわかんないぞ、と思って、今日のランチ後に練習に行くことに。

練習場所は、ランチ直後で空いているスーパーの駐車場か、工場地帯。
日曜日なので町外れの空いているスーパーは時間帯を選べば人が少なく、工場地帯はイヌの散歩を除けばほぼ無人。

義母の車、ギアチェンジらくらく〜。そうだよ、これが普通だよ。

でも、日本にいるころから運転なれしていない私。免許を取ったのも割と遅く20代半ば、マニュアルの免許だけどマニュアル車は教習所のみ。車を運転するのは実家に住んでいるときのみ。しかも近所だけ。遠くても、100キロも先に行ったことはなく、、、。

そんな私は、スーパーの駐車場へ移動する間、助手席に座りながら運転モードの頭に切り替えてみたけど、咄嗟に思ったのは「なんで右側の車線なんだ?」って当たり前のこの国の運転事情をわかっていないとんちんかんなこと。緊張してるらしい。

さて、いざ運転してみると、とりあえず走るものの、ギアチェンジはとんでもなくぎこちない。
ミラーなんて見てらんない。STOPの表示に従うのに必死。
かっこん、かっこんと前後しつつ運転するので、隣に座った相方は気分が悪くなるほど。
普通の道路デビューはいつになることやら、、、。

でも、これは自分で好きなところに行く自由への第一歩だ!とばかりにがんばった!
自由への道はまだまだかなぁ。

日本から誰かが遊びに来た時に「うちの辺りは公共交通事情が悪いから、夜は出かけられないよー」といわないですむことが目標。お客さんを乗せて近所でもいいところをご案内したいのだ。
だから、がんばるよー。

5月に従兄夫婦が来る予定がある。そのときまでには、、、何とかちょっと遠出ができるほどの勇気と安全運転ができていますように。

今日の練習を終えた後、相方の一言。
「運転は大丈夫だと思うけど、イタリア人を信用するなよ」と。
そうね、ありがたいアドバイスかも、、、。

Tuesday 11 February 2014

またひとり、そしてまた、、、

イタリアのニュースによく出てくるのは、若者の失業率。昨年の秋頃には若年失業率40%越えなんて数字も出て、「若い友達3人集まったら、1人、2人は失業中なのか」と想像して驚いてしまった。
確かに、私の周りにも若年に入る人、それ以外の人も含め、失業した人は多い。

そんななか!
驚きなのは、私のヨガの生徒さんたちである。
現在3カ所で行っているグループレッスンのうちのひとつ。市の施設を借りて9月スタートさせたクラスがある。
今年で2年目。去年は初めてだし、自分が住んでいる市ではないこともあって、知り合いばかりで生徒さんも少なかったけど、今年は問合せの電話もあったり、去年以上に生徒さんが集まってくれている。
9月からスタートし、大学生は学業が忙しく来れなくなり、10月に入ってからもう1人「仕事を見つけたから」と来れなくなった20代の女性がいた。

ええじゃないの、この失業率が高い中、仕事を見つけたっていうんだから、これは喜ばしいことさ。
「がんばってね」と送り出した。

また数週間経って、別の20代女性が、「来週から新しい仕事をするから来れない、残念」と。
でも彼女はどうしてもヨガを続けたい、と別の場所で開催している私のクラスに来てくれるようになった。

そして、11月半ばには私が日本に帰ったので長い冬休み。

1月になりクラスを再開し、前年度からずっと来てくれている人が(私より数年年上の女性)、「昨日面接を受けに行ったら受かったの。明日から試用期間だからヨガに行けなくなっちゃった。(仕事が)ダメだったらまた行くけどね〜」とメールをくれた。

あらま。しばらくフリーランスで働いていて「いろいろ大変だー」と愚痴を言い合った中だったけど、また喜ばしいニュースじゃないの。
こちらも「がんばって〜!」と送り出し、、、。

その2週間後。
また別の20代の女性が「仕事が見つかって、来週から始まるの」と。
ひゃー。4人目!
「あなたで4人目よー!」と伝えると、彼女も「クリスティーナ(3人目の人)は知ってたけど、他にもいたんだ〜」とびっくり。

Ci porti fortuna! (あなたは幸運を運んでくれる!)と言われた。うふふ〜。

そして今朝。
手足が長くてすら〜っと背の高い、今年のメンバーの唯一の男性から携帯にメッセージが。
「残念だけど、新しい仕事が見つかって、もうヨガクラスに行けなくなった」と。

出た! 5人目!

まさか、、、まさか、、、私って招き猫の化身になったのか?
いや、招き猫は千客万来のためだから逆だ。幸せを運んでくれるのは、、、? 福の神? ドイツのブタさん? 馬の蹄? 四つ葉のクローバー? あとは何だ?

次はこの男性の彼女(失業中)が仕事を見つけるんではないか、、、? そうなったらすごいぞ。

そんな話をすると、「稼ぎが減るじゃないか」とでも言いたそうに「来る生徒が減ったんでしょ?」と私のことを心配する人もいる。
これも否めなくはないけれど、そんなことより、この厳しいイタリア社会情勢の中、仕事を見つけたというニュースを聞く方が何倍も嬉しいことか。

唯一昼間に開催しているグループレッスンなので、来てくれるのは自営業、シフト制の仕事の人、引退した年金暮らしの人、あるいは失業者。
さー、次のいいニュースは何かなー。誰かなー。

Tuesday 4 February 2014

ハッピーな人

これまで何度かバスネタを書いてきた。乗る路線はいつも同じ。
住んでいる街から、隣の県の中心地までの約30〜40分。途中に小さな街に寄るだけで、あとは畑の中の一本道というところ。

最近は通勤時間に乗っていないので、騒がしい連中(こんなおばはんと運転手とか、そのおばはんふたたびとか、通勤時間帯に乗り合わせて友達になって、酒も入ってないのに、運転手も含めて居酒屋のようにうるさくなる)と乗り合わせることなく、静か〜に利用していた。

が、しかし。

ここ2週連続乗り合わせた女性。今、この人が気になって仕方なく、できればお友達になりたいなーなんて思っちゃったりもしてる。
私より3、4個先のバス停から乗ってくるアフリカ系の女性。仕事帰りっぽい。
外から運転手を確認して、知っている運転手だと、満面の笑みとともに乗ってくる。

乗ってくるなり、
「ヒー、ヒャッ、ヒャッ、ヒャッ、ヒャーーーー」と笑う。
そして、おしゃべり機関銃。

今日は久しぶりに会う運転手だったらしく、
「今日はあなたなのねー。ヒャッ、ヒャーーー」
「先週もいた? 月曜もいた?」と聞く。
運転手が、「昨日の月曜?」と聞き返すのを聞いているんだか、聞いてないんだか、
「なーんて、私は昨日はいなかったけどねー。ケー、ケッ、ケッ、ケーーーー」と笑う。

そう、この人の特徴は笑い。何とも楽しそうなのだよ。
そして必ず、
「ケー、ケッ、ケッケーーーー

と、高く大きくなって、バス中に響き渡るんだわ、これが。
そして、何の脈絡もなく、話しの途中に入るのだ、この笑いが。

バスでうとうとしている私も、起きるわ、これは。

運転手はみんな、この笑いにつられる。彼女のおしゃべりに乗らずにいられない。
うるさいと言えば、うるさいかもしれない。でも、この笑いの幸せ感にはつられてしまう。

先週は、乗ってそのまま運転手の横に立ち、ずーっと弾丸トークだった。

「来週はいるの?」
「バスの運転手は稼ぎがいいの?」
「この定期って他にも使えるの?」
運転手に質問攻め。

そして間に突如入る、
「ヒー、ウヒッ、ヒャッヒャーーーー」の笑い声。

こちらもつられて思わず笑っちゃうのだ。

今日、ふと思い出した。私、彼女と去年の春に会ったことがあるんじゃないか?
雨の日の、冬に逆戻りしたような寒さの中、イースター休暇のバス運行を知らずに駅前で2時間近くバスを待たなければならなかった、あの日。
同じように、いつものバス運行だと思って来たアフリカ女性が「この時間のバスに乗れなかったら(仕事に遅刻して)仕事先で殺されるー! ヒャヒャヒャヒャヒャー!」と笑っていた。(そのときのブログはこれ

あの人だよ、この女性。
ということは、この女性はこのバスの終点(駅前)まで乗る。
ということは、運転手はずっとこの女性とおしゃべりするわけだ。
何とも楽しい40分の仕事だよなぁ。あの笑いを聞いたら、嫌なこともふっとぶんじゃないかしら。

何がそんなに楽しいのだろうか?とも思うけど、こういうことを全然悪い気分を与えずにできるのも才能だよなぁと思う。
いつか、友達になる切掛け、あるかなぁ。週1で乗り合わせるくらいだと、無理かなぁ。



Saturday 1 February 2014

余ったパンドーロで

イタリアのクリスマスケーキと言えば。
パンドーロか、パネットーネ。

上がパンドーロ。下がパネットーネ。(どちらもWikipediaより)



生菓子ではなく、スポンジケーキのドライフルーツ入りかなし。季節になるとスーパーに山積みになるので、これが出てくると、あぁ、シーズンだなと思うもの。
クリスマスは1月頭まで続くけど、メインの12月25日が終わると、スーパーどこでも値引きを始める。

今日は久々に相方マンマ宅でみんなでランチを食べ、その後にもう乾燥してしまったパンドーロを再利用して、あるものを作ってみた。

スポンジを細かくちぎり、水を少し入れてこねまわし、だんごに丸めて串に刺し、、、。


野鳥のエサなのだ。

庭のざくろの木に甥っ子達とぶらさげてみた。

さてさて、野鳥が食べに来てくれるかなー。