Saturday 7 November 2015

受け取りました! 滞在証!

何だかんだとぼやいていた滞在許可証の更新、受け取りがようやく全部終わりました!
今朝、めでたく滞在証を受け取って参りました!

先週は、金曜の夜に翌日の朝にクエストゥーラに行くことをメモ書きにして机の上に置いておいたのですが、寝ている間に相方が、新聞を広げるためにそこにあったものを適当に移動してしまい、朝にはすっかり忘れてしまってました。
昼になって思い出し、「しまった!」と思って、車で出かけている相方にSMSを送って「クエストゥーラの前を通って私の名前があるか見てきてーーー!」と頼んだところ、SMSを受け取る直前に相方も同じことを思い出していたようで、ちょうどクエストゥーラに向かっているところでした。でも相方が到着したときには既に閉まっていて間に合いませんでした。あぁ、忘れるなんて。

今朝は忘れずに行ってきました!
相変わらず、プライバシーもへったくれもなく、クエストゥーラの外壁に貼り出してある滞在証ができあがっている人の名前リストに自分の名前を見つけて、窓口に行って受け取ってきました。
「名前が外にありました」と半券を提出して伝えると、「おおお、ツイてるねー!」と言う担当者(今朝は違う人でした)。指紋をとるのかなと思いきや、これはなかったです。受け取りのサインと、滞在証原本にサイン。以上。

受け取った滞在証はここ1、2年で変わったと聞いた、横型のA5サイズ。身分証明書(Carta d'Identità)も大きいイタリアですが、これよりも大きいです。身分証明書サイズだったら半分に折ってお財布に入ったのになー。
A5サイズの下には点線で切り取った後が。多分、実際はA4サイズで、下半分は発行元の控えにでもなってるのかもしれないと思います。

そして、待ってました、ILLIMITATA(無期限)です!
パスポートの期限も入っていません。写真の更新の必要性など、何の説明もなかったです。サインして「以上です!」と。
手続きから約1ヶ月ですね。(先週にも受け取れていたかもしれないし。)

これでシェンゲン条約国を通って日本に帰れるので、どの飛行機でも選び放題!なのですが、、、相方の胆石の手術がまだ決まってません。
今週病院から連絡があって「やった、手術だ!」と思いきや、術前検査のお呼び出しでした。この術前検査の後、実際の手術は今月中にできるかもしれないし、来年になるかもしれないと。術前検査まではたどりついたので、あと少しと前向きに見てます!

Tuesday 27 October 2015

今年はいきなり濃い!



昨日、16:54の写真です。(薬局の時間は意図して写したんじゃなくて、偶然ね)
霧が、、、霧が濃い! まだ10月末。しかも日中。雨なわけでもなく、日中は日差しが(霧を通して)射すこともある曇り気味の日でした。

私がイタリアに来る前はこんなこともよくあったようで、自分の腕を前に突き出して、手の指がおぼろげにしか見えないなんてこともあったと聞いてますが、この時間にこれほど濃い霧になっているのは久しぶりとのこと。
出かける前は、西に面した窓がある相方の部屋からは、夕焼けが霧を透かして見えてとても幻想的だったとのこと。出かけたときには雲に隠れてました。残念。写真も一応西に向かって撮ってます。(小さなスマホなので、少し暗めに写ってると思います。)

私が住んでいるあたりは霧が出やすい地方。イタリアで霧が出ないところってどのあたりなんでしょ。もう少し南に行けば軽減されるのかな。

嫌な季節です。夜の車の運転がかなり怖いし(昨日のような霧では日中の街中でも怖い)、とにかくグレーの空が気分を落ち込ませます。家で楽しめることをもっと開発しなくちゃね。
今日は夜に運転して出かけなければいけないところだけど、昨日と似たような天気なので、相方に送り迎えを頼むことにしました。

そうそう、待ち状態の滞在証ですが、先週はできているかどうか確認しに行くことを忘れました。あはは、大切なものなのに忘れちゃうなんて。
私がいる管轄地域は、毎週土曜の午前中のみ、クエストゥーラの外壁に、プライバシーもへったくれもなく、滞在許可証ができている人の姓名が貼り出されます。
先々週は私の名前はありませんでした。今週の土曜あたり、できてるといいなー。

先日、他のシェンゲン国から来た友人に、私が今現在は他のシェンゲン国に行けないことを話すと、「そんなん大丈夫だよ! 空港でね、僕の友達だって言うんだよ!」
おまえは王様かーーーーっ!
シェンゲン国の人たちにとっては、入国審査も何もないはずと思っている空港でなぜ旅行を拒否されるのかわからないようで、説明には一手間かかります。
早く滞在証が出てくるといいなー。
日本里帰りフライトを予約したいところだけど、滞在証ができたところで、相方の胆石の手術が終わっていないので、まだ動けないままでしょう。どっちも早く終わってくれないかなー。

Friday 9 October 2015

保健証、届きましたけど、、、やっぱり不可解なイタリア

昨日、期限切れ後の更新をしていた保健証(Tessera Sanitaria)が郵便で届きました。
もちろん、ポストにぽとん、です、はい。ちなみにうちのポストは通り掛かりの人が覗ける位置にあります。

無事に届いて、中身は青。そう、新しい色の保健証。
「おおおーーー」と驚きと喜びの混じる歓声を相方と二人であげて、その後、相方はそのまま外出。
ひとりでじっくり新しいカードを見ていると、、、。

有効期限:2016年3月27日。

はて? 半年切ってる?
この日付、手続きをするASLというオフィスで、旧保健証カードと一緒にもらった「更新中」の旨が書かれた紙の日付と同じ。

同封されているレターを見てみると、

Alla scadenza, se saranno confermate le condizioni per l'assistenza sanitaria, Le verrà inviata una nuova tessera; ....省略

と記載されている。

要するに、上記の期限までには保健関連の条件などの確認をとり、(また)新しいカードをお届けします、と。

は?

この"仮"で届いたらしい保健証は、確かにチップが入っていない。それなら、ASLでもらった紙と旧保健証カードで事足りるんだけど、、、。半年も使わないカードなんていらんわい!

実際、プラスチックのカード一枚発行するくらい、あちこちのお店でポイントカードを簡単に発行できるところを見ると、ごくごく簡単なことなんだろうと思う。でも、これ、税金から出ているわけでしょ。経費削れるやん、これ、、、。
利点があるとしたら、ASLでもらった紙はイタリア語記載。でも保健証は他のEU国でも有効なので、期限切れのカードとイタリア語の手紙では問題が出るから、、、? そんなに行かないけどさ、イタリア以外。(実際、私の場合、現在は滞在証更新中でEU国ほぼ行けないし。)

この仮カードを発行するくらいなら、なぜ家族ビザにプラスチックのちっさいカードを発行しない?
滞在許可証のカードタイプを見たことないからわからないのですが、やっぱり、チップがついてるのかしら。

いちいちツッコミどころが満載で、不満には事欠きません。


Thursday 1 October 2015

でけたのだ。滞在許可証更新

なんだかんだとありつつも、滞在許可証の更新が済み、申請中の証、半券とやらを手にできました。
その間、1日分、許可証なしの滞在でした。だって、手続きする側がいいって言うんだもん。いいのよ。

前述した書類を持って、いざクエストゥーラへ。
もう顔を覚えられてるので、書類を出すと「はい、はい」といった感じで担当者が「5分でやっちゃいますからねー」と。
え? 5分で許可証ができちゃうの?

許可証自体ができるわきゃありません。当然ながら。
でも、5分とかからず手続き終了。
いや、担当者との世間話を入れたら5分かかったかな。
無事、期限の切れた滞在許可証に半券をホッチキス止めして「毎週土曜日に外の掲示板に許可証ができた人の名前が貼り出されるから見に来てね。名前があったら半券を持って窓口に来てね」と。

上記はうちの近所のクエストゥーラのやり方。土曜日には、名前のリストがクエストゥーラの外壁、プライバシーもへったくれもない状態で貼り出されるのだ。5年前の申請時と変わらない。(変えたほうがいいんじゃないの?)

あっさりと終了。あとは待つだけとなりました。
1ヶ月以内にはできるでしょうと言われてます。
年末には帰国したいなーと思ってますが、いまいち飛行機を予約する勢いが出ません。
シェンゲン条約国を通らないフライトを取ればいいだけの話だけど、羽田発着の楽さを味わってしまった今、神奈川県民、成田発着を選ぶ気が起きません。
それに、シェンゲン条約国を通るフライトの中には、預け入れ荷物の重量が倍近くになるフライトもあるので、そちらの方を選びたい。
そんなわけで、帰国計画保留中です。

クエストゥーラを出たその足で、健康保険証(テッセラ・サニタリア)の更新手続きへ。
進化してるのかしてないのかよくわからないこういうオフィス。
順番待ちの番号を出す機械が、スーパーのハム・チーズ売り場とか、魚売り場のところにある紙っきれの番号と同じものだったのが、タッチスクリーンのついた小型の機械に変わってました。
でも、、、。
入り口にない。
待合室の一番奥にありました。わからんっちゅーの。小さい機械だし。
番号を取ってから10人ほど待っている間、待合の一番端に座っていたので、数名の人から「番号を取る機械は、、、?」と聞かれました。何で入り口に設置しなかったんだろうか。(100%、小さい機械のための電源を取れるところがなかったからかと。)
さらには、待合室のイスに座ると、呼び出される番号を表示するスクリーンが、その前にあるコーヒーなどの自動販売機の陰に隠れて見えない。あぁ、なんて残念なIT化。IT化ばかりが優先されて、人間の動きが考慮されてない。かろうじて自動販売機の上に、一番上の呼び出し番号だけが見えるくらい。

こういう文句を言いつつ、自分の順番が来て、期限が切れた健康保険証を更新。
これは、現在の健康保険証と、クエストゥーラでもらった半券をホッチキス止めした滞在許可証を見せて手続き。
半券のコピーをとらないといけないかなと思ったけど、クエストゥーラからその足で行ったので、言われたら取りに行こうと思ってチャレンジ。オフィスの人がコピーしてくれたので問題なくできました。

申請中の旨を書かれた紙を1枚渡され「半年以内に新しいカードが届くはずです。届かなかったらまた来てください」と。
半年もかかるんかい!
半年というのは、余裕をもって半年ということであって、それまでに届くとは思いますが、郵便で届くので、これも半年過ぎてもおかしくないかもしれない、、、と不安がよぎります。前回は郵便で届いても、ポストに投函されるだけで、手渡しではなかったです。個人情報たっぷり入ってると思うんだけどなぁ。

いずれにせよ、今は、じっと待つ子です。

いろいろとアドバイスをいただいた皆さま、ありがとうございました!

Friday 25 September 2015

またしてもずっこけ、でも前進 滞在許可更新

私の初回の滞在許可証、今週末で期限が切れます。
60日前から更新手続きを受け付けているはずのところ、夏休みを挟むからちょっと早いけどお役所関係が手薄になる前に情報だけでももらいに行こうと思い立ってクエストゥーラに赴いたのは2ヶ月ちょっと前。そこで「そんなに早く手続きできないわよ」と意外な情報を得て、ぎりぎりの今日、書類をそろえて行ってきました。

夏休み最終日とか、新学期が始まってから提出期限直前まで宿題が終わらない子供のように、当日の朝まであれやこれやと騒ぐ私たち。
今朝もクエストゥーラに行く直前にコムーネに行き、さらにコメルチャリスタに行って書類をそろえ、その足でクエストゥーラに向かいました。きっちりと前もってそろえる人は額に筋をたてて「ありえない!」と声が上がりそうですが、、、。証明写真は昨日のうちに撮っときましたよ!(当然のこと?)

ま、クエストゥーラで言われたことは、、、。
「ほら、あなたの許可証の期限、明後日でしょ。今日の日付で行っても何もできないのよ。」

ガーン。

まだなの? そうなの? でも私、(期限が切れても)イタリアにいていいってことよね?

通常は60日前から手続きできるって聞いてますが、、、とつぶやくと、「それはね、この許可証の前に別の許可証を持っていた人の場合。あなたはこれ(週末で期限が切れるもの)が初回の許可証でしょ」と。

なんだそりゃ? 何か手続きの違いでも? 問い詰めても仕方ないので問い詰めないし、言われたように手続きするしか道がない。あぁ、イタリア。

それでも、手続きの予約をとってくれました。というわけで、来週、またその予約の日に行くことに。

用意した書類だけは合っているかチェックしてくれたので、提出予定の書類をリストします。
・現在の滞在許可証原本とそのコピー(私の許可証のタイトルは、Permesso di soggiorno per stranieriで、滞在理由はMotivi Familiari)
・申請用の紙(使い古しのコピー、コピーで、こんな気軽な書類かい?と思わせるような、コピー機の埃とか、そんなもんまでコピーに写ってます。タイトルはCarta di soggiorno per familiare extracomunitario di cittadino dell'Unione Europea/cittadino Italiano (artt2,3 e 10 D.L.vo 30/2007))
・申請者本人のパスポート原本とその全ページコピー(全ページ必要かわかりませんが、用意してあります)
・配偶者のCarta d'Identitàのコピー(表、裏ともに)
・住居証明(Certificato di residenza、イタリア市民の家族として申請する場合に必要。もしくは別の書類の名前も書いてありますが、私は住居証明で。コムーネで今朝取得。印紙に16ユーロと、コムーネの手数料に0.52ユーロかかりました。実際に提出するのは、このコピーでいいと言われました。「原本は他に必要なときに使えるでしょ?」って。)
・配偶者の昨年の所得を証明するもの(今朝、コメルチャリスタからもらってきました。)
・証明写真4枚(近所のスピード写真で5ユーロ)
追記:上記の住居証明に使った印紙16ユーロとは別に、滞在証手続き用の印紙代16ユーロがかかります。タバッカイオなどで購入して用意しておきます。

以上。
私の所得の証明も念のためもらってありますが、クエストゥーラの担当者は「いらないと思うけど、実際の手続きをするときに内容を見ましょう」ということ。私の分を提出するかは未定です。

昨日の夜、更新時の情報を残されている方のブログを探してざざっと目を通したけれど、なーんとなく私が住んでいるエリアでは手続き書類の数が少ないような、、、。それに、申請書自体も明らかに「申請書です!」みたいなものではなく、埃まで写ってるようなコピー一枚って、、、。ここに記入する内容も、氏名、出生地、誕生日、国籍、性別、現住所、電話番号、税金の番号(Codice Fiscale)、滞在申請の理由(私の場合は、イタリア在住のEU市民の配偶者)のみ。そして、この(きったない)紙に直接印紙(16ユーロ)が貼られるらしい。印紙はクエストゥーラの担当者が貼るから貼ってこないでね、と言われてます。ということは、他の方がブログに書いているような申請書らしい申請書にクエストゥーラの人が書き換えて、そちらに印紙を貼ってくれるのかな。いや、そんな面倒だし、間違えられたら怖い。

そうそう、私のところのクエストゥーラでは、滞在申請の理由が「家族」(Motivi familiari)の場合に発行される紙の許可証か、労働ビザや学生ビザなどの場合に発行されるものと同じカードタイプか選べると提示されましたが、、、。
予算なし、です。はい。紙にします。
カードタイプの場合、200ユーロと、カード発行代の27,50ユーロがかかると言われました。さらに、イタリア語のテストを受けなければいけない(EUで認められている試験の一定のレベルをパスしている人は受験の必要なし)とのこと。面倒です、正直。それに以前にアドバイスをくださったなおこさん(いつも適切なアドバイスをありがとうございます!)の懸念、カードタイプにかかる200ユーロは滞在申請理由が家族の場合にはかからないはずでは?ということに同意です(ごめんなさい、クエストゥーラに確認はしてません)。これを把握していない(かもしれない)クエストゥーラからの情報に合わせて200ユーロも払えません。
他にもカードタイプで申請しようとした方のブログも読み、本当にカードが発行されるのか不安なので、確実路線で割安の紙に。
だいたい、EUが制定している内容に沿わずいつまでも各地で異なるあやふやな手続きを続けているこの国の制度こそ、見直しと発展が必要でしょうと私は思います。

来週の手続き後、即、その足でASL(保健関連の手続きをする事務所)に行って、保険証の更新もしてきます。現在の滞在許可証の期限切れとともに保険証の期限も切れるということ、昨日の夜になって思い出しました(皆さんのブログのおかげです!)。
再来週早々、10月は通院を3件予約してあるので、これ必須。今や病院も保険証についているバーコードで予約管理が整ってきたのですが、更新してカードが届くまで一時的に「更新中」を証明する紙っぺら1枚になる私。紙っぺらに代わりになるバーコードついてんのかしら、、、。
この更新後、保険証も州ごとに発行されるもの(ロンバルディアは薄い黄色)ではなく、数年前に国共通になったブルーが届くはず。いまだに私の周りでこのブルーを持っている人を見たことがありません。黄色が届いたら、やり場のない怒りで家で暴れそう。

おっと、忘れてはいけないのは、いつ滞在証ができあがるのか。
全部かかっても1ヶ月くらい、らしいです。滞在理由が「家族」で申請する人が今時期少ないとのことで、割りと早くできるだろうとの見解です。(紙の滞在証は早いってことか?)

来週、以上の書類をもって手続き行ってきまーす!

Friday 14 August 2015

怒! イタリアの医療(というか、近所の病院)

この136年ぶりの猛暑がいよいよ終わりを告げているような雲行きになってきました、イタリア。
こんな暑い中、相方は6月頃より腹部の奇妙な痛みに苦しんでました。いや、今も。
7月半ばに、腹部エコー検査で胆石と診断されたので、さっさと取ってしまおうと、手術の申し込みまでしてました。(公立の病院に)

エコー検査と同時に胃カメラの指示が出ていたので、エコー検査で胆石とわかった今、受ける必要は本当はないのではないかと思ったけど、とりあえず受けておこうということに。受けた結果、胆石があるから胆汁がきちんと流れていないとの疑いが出て、胃カメラの最中に組織検査用のサンプルをとられました。明らかに胃の内部に炎症があり、現在進行中なのか調べる意味もあっての組織検査です。

そして、
怒り・その1
組織検査の結果が検査後約10日で出ると言われていたので、検査後11日目の今朝、結果の受け取りと組織検査の支払いで病院に行ったのですが、、、受付に届いていない。
受付のおばちゃんが言うには「通常は10日くらいで届くんですよ。でもね、今、ほとんどの医師が休暇中だから、、、」と。
いや、病気に休暇はないんだが、、、。乾いた苦笑いするしかないよ、はははー。
受付のおばちゃんに文句を言っても仕方がないから怒りのぶつけどころがない。

そして外科外来。
外科外来は胆石とわかったときにホームドクターが出した指示で、この予約をとるときにもちょっとしたトラブルがあり、予約手続をしてくれた窓口の人には「システムが反応しないから」と流されました。反応しないものはしないのだから仕方ないでしょう。でも数日後にはきちんと予約が取れたと連絡が来ました。
そして当日行ってみると、私には理由がよくわからなかったのですが、実はこの予約は間違っていたということがわかりました。運良くも、たまたまいた医師が診てくれることになり、意外にもスムースに診察室に呼ばれたので、無駄足にならず、ほっ。
外科外来の担当医師は(珍しく)患者の話にきちんと耳を傾け、わかりやすく説明してくれ、最後には今後の治療の選択肢をきちんとした予後の説明つきで提示してくれました。こんな医師に出会えただけでも超ラッキー! 手術を希望して申し込み書を書いてもらいました。痛みが頻繁にあるからできるだけ早く手術できるように優先度の高い指示書を書きますからと嬉しいお言葉つきで書いてもらった書類を入院受付に提出。医師からは、優先度は高いとは言え最大60日は待つことにはなりますよと言われていたので、そんなもんだろうと思ってました。

そして、
怒り・その2
外科外来の担当医師が、患者が外来に来たときに患者から受け取らなければならない紙(ホームドクターの処方指示の紙)を受け取りわすれたので電話があり、今朝、その紙を届けるためにも病院へ行って総合受付のようなところに提出。
提出したことを外科外来に伝えるために先ほど相方が電話をかけ、ついでに手術の予約状況を聞くと、、、。
「最大60日の待ち日数と言われたならば、通常は120日かそれ以上ですから」と。

はい?

何のための待ち日数の伝達なわけ? 60日は気休め?

こんなときイタリア人含め、冗談のようにも、あきらめのようにも聴こえるように大概の人が言う。「イタリアだからさ。」
イタリアだったらいいわけ? それ言えば、誰もが納得しなきゃいけないわけ?
理不尽だよ、本当に。

医療機関で働く人も人間だから、休暇くらいはとりますよ、当然です。
でも、この時期以外ならば通常通りに出てくる検査結果に滞りが出るようなシフトを組むわけ? だったら、検査結果が出るまでの日数をこの時期は長く連絡してくれればいいのに。

怒りのぶつけどころがないだけに、何だか苛立ちが収まらない。
こうやって溜まっていくのね、小さなストレス。



Saturday 11 July 2015

暑さでにぶる思考回路

イタリア全土、いや、ヨーロッパ全土、猛暑、猛暑、猛暑。
12年ぶりの猛暑だそうで。というのは、12年前の夏、10月出産予定の赤ちゃんをお腹の中に抱えてこんな猛暑を過ごした義妹から聞いたこと。
そこそこ暑い夏はあるけれど、今年は強烈だわ、本当に。

昨日、一昨日くらいから、若干暑さが和らいだかと。ちょっとだけほっとしたら、頭が働いてくれるようになったかも。

この暑さのおかげで、本気で思考回路がにぶっていた。
にぶると顕著に現れるのは、言語表現。何語にしろ(って、日本語か英語かイタリア語)言葉が出てこない。

先週末、相方の従妹の結婚式があり、トスカーナ北部の街に行ったときの話。
(カメラ、思いっきり忘れましたので、、、お見せできるものがないっ!)

イタリア人の父、オランダ人の母のもとに生まれた従妹は、父親の仕事の都合で世界各地を転々とし、本人も各地を転々とする生活を選び、そして見つけた旦那様はフィリピン人(とってもほんわかとしたステキな人でした!)。現在はルクセンブルグに住み、一児の母になっている。(婚姻自体は既に手続きを終わらせていたものの、出産などでお式がずれ込み、今年になった様子。)
結婚式に集まったゲストは、総勢何人だか数えてもいないけど、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなど国籍は16カ国にわたり、そりゃもう賑やかな結婚式でした。

人前式、アペリティーボも含め、夕方4時から夜中の12時過ぎまで続いたガーデンパーティ。
会場は丘の上に立つステキなヴィラ。庭の横にはオリーブ畑なんて拡がってたりして、そりゃもー、素晴らしい景色にうっとりなところなんだけど、、、。

暑いっちゅーねんっ!

広々とした庭で太陽が照りつける中、食と酒は進み、おしゃべりにも花が咲き、やっと日が暮れてきた10時近くから踊りまくるという、胃も(肝臓も)、脳も、筋肉も全部使いまくる1日となったわけ。たぶん、体感温度40度くらいの中にずっといたのだと思う。

暑い、飲む、しゃべる。飲む、暑い、踊る。

とっても楽しい土曜日だったけれど、暑いものは暑い。疲れるものは疲れる。
翌日の日曜、二日酔いにはならなかったものの、胃の調子が悪い。身体の中心がやられてしまうと、そこに意識が集中してしまう。夜もよく眠れず、疲れが溜まり、はたまた相方家族と旅行をするというちょっとした妙な緊張感(実際、結婚以来、みんなでどこかに行ったのは初めてだった)。「嫁」を装わなければいけないことはこれまでにもなかったけど、もうのんびりしたいよ、あたしは。

何日も続く猛暑が夜になってもひかないので、朝から暑い、暑い。この日はホテルをチェックアウトした後、従妹やその他のゲストがいる、叔父が経営するB&Bに自然とみんなが集まった。
久々の再会を改めて喜んだり、しばしの別れを惜しんだりと、それぞれの帰途へつく前にちょっとした時間を過ごしていたところ、、、。
相方の別の従妹から「お願い〜」と、英語からイタリア語の通訳を頼まれた。はいはいと快く受け、英語で話す子供が言っていることを聞き、従妹の方に向き直って通訳すると、、、。

従妹の目がぱちくり。
なぜ?

一瞬、まったく気付かなかったけど、通訳した私の口から出ていたのは日本語だった、、、。

こういう一瞬って、なぜか長く感じられちゃうんですよね。
ようやく、自分の間違いに気付いて、二人して大笑い。周囲で見ていて気付いた人も大笑い。

もう、頭が動かんのだよ。
土曜の結婚式では、私の他に従妹の友人の旦那様という日本人男性がいて、その奥様(イギリス人)も日本在住経験があり日本語を話す方。
夜になって始まった着席の披露宴では、私の右手にはその日本語を話す一家、左手には相方とニューヨーク在住のスウェーデン人女性とインド人男性。丸テーブルの向かい側には、相方の別の従妹とその旦那様のインド人男性(この一家は現在ワシントンDC在住)と、多言語チームなテーブルだったので、右を向けば日本語、左を向いたら英語、他のテーブルに遊びに行くとイタリア語と、酒のおかげで饒舌にもなって、久しぶりに多言語切り替えをバンバン駆使する日になった。
相方の従妹たちは見事なもので、小さい頃から多言語環境で育っているから切り替えが速い! それに引き換え、おばはんになってから三言語目のイタリア語にチャレンジしてる私には混乱を呼ぶだけ。
いくらがんばっても、酒が切れた翌日には、饒舌な会話を生み出す頭の回路も切れた様子。

イタリア生活もこの夏が過ぎれば6年目に入る。
そろそろ、「まだ○年しか住んでないから、イタリア語はヘタです」の言い訳ができなくなるころかと感じている。
目標を持つためにも、試験を目指して勉強しよっかなー、なんて漠然と思い立った。

Saturday 20 June 2015

滞在許可証更新に意気込んだら、、、ちょっとズッコケ

「ズッコケ」って言葉、今でも使うんでしょうか。死語かな。

私の滞在許可証が切れるのは9月の終わり。私の現在の許可証は、イタリア人配偶者がいる家族用で、紙のもの。初回の申請から丸5年になる今年が更新です。
今年の更新以降は永久になるとのことだけど、イタリアの外国人滞在許可証の形態が統一されていない不可思議な事実。
果たして、私の地域では何と言われるのだろうか、、、。

とにかく。2ヶ月前から更新手続き可能と友人から聞いていたので、7月は何かと予定が詰まっているし、8月はどうせ社会全体の動きが止まるだろうということで、準備しなきゃいけないものだけでも聞いてこようと行ってきました、クウェストゥーラ(イタリアの警察のひとつで、移民局もこちらが担当)。

空いてたっ! ラッキー!(大きな市ではないですしね。)
待っている間、5カ国語(英語、スペイン語、ヒンズー語らしき文字が2種類、アラビア語、中国語)で書かれた小さな張り紙を見ると、「情報提供は金曜日の10:30-11:30のみ」と。
知らんかったー! 1週間のうちのたったの1時間に、知らなかったけどドンピシャで訪れていた私たち。またまた、ラッキー!

割りとすぐに順番が来て、担当のおばちゃんに「9月末に許可証の更新が必要なんですけど、何が必要ですか?」と聞くと、即座に「あら、まだ早いですよ。9月末に来てください」と。

え? 9月末の更新を9月末ですか? そんなんでいいの? 他の地域の人たち、2ヶ月前に手続きしてるんだけど、、、。

では、とりあえず必要な書類の情報をくださいというと、また悩ましい質問が。
「(今みたいな)紙の許可証にします? カードタイプにします?」と。

選べるんかいっ? なんか、なんか、、、ガクッて感じなんだけど。膝カックンされたみたいな(←まさか、膝カックンも死語?)

在伊の方、特にイタリア人配偶者がいらっしゃる方はご存知の方が多いのですが、イタリアでは、な・ぜ・か、イタリア人の家族のビザは未だにA4くらいのサイズの紙1枚です。就労ビザ、学生ビザの場合は、カードタイプが発行されているようです。
この「紙」の形態はEUが共通で使用している滞在許可証の規定から外れるのか、特別扱いで入っているのか、よく調べていませんが、過去に他のEU国で滞在許可証を見せても許可されなかったり、一旦イミグレーションの待ち合いで止められてとにかく時間がかかったりと、面倒な事態になった話を耳にします。私自身は問題になったことはありませんが、友人は他のEU国を通るとき、「まだこんなん使ってるの? ふっ」と鼻で笑われたそうです。

続けて「紙なら印紙代と写真代のみ、カードタイプは手数料に200ユーロちょっとかかるのとイタリア語のテストがあります。それによってお渡しする情報も違うので、どちらがいいですか?」と。

う、悩ましい! 私のようなイタリア人の配偶者には、紙のものしか手に入らないと思っていたけど、”お金を出せば”カードタイプが手に入ると!
(それにしても、紙のタイプならばイタリア語のテストの必要なしっていうのも解せないけど、、、。その場でツッコミを入れる俊敏さがない私の頭の回転の遅さが残念すぎる。)

このおばちゃんの横にいた警察官。以前に日本人が日本からイタリアに戻る際に紙の滞在許可証を拒否され、やむを得ず帰国した事件のことなどちょっと知っているらしく、紙かカードか一瞬悩んでいる私に「紙の許可証だと問題が起こるかもしれないと予想されてますか?」と聞かれた。そりゃもう「はい!」と。

カードタイプが手に入るならば楽だけど、200ユーロちょっとかぁ、、、きつい。
9月でよいというのなら、今すぐに決めたくないので、両方の情報をもらえないか聞いてみた。
本当にラッキーなことに、そのときには窓口には私たちだけになり、後ろに並んでいる人もゼロ。
警察官のおばちゃんが、印刷されたリストを出してきて、私が準備しなければならない項目にわざわざ印をつけてくれた!

さらには、ひとつひとつ説明までつけてくれ、この丁寧さに私も相方もかなり驚き。

この丁寧さに気が緩んだか、、、。リストをもらったはいいけど、紙なら更新の必要なしとか、カードは5年ごとに更新とか、真実なのか、噂なのか、地域特有の「変化球」クラスの真実なのか(EU共通の規則も地域特有の扱いで変わる)、そんな細かなことを聞くのを忘れてきた、、、。
カードタイプは、はなっからもらえないと思っていたので、事前に聞きたいことを準備していなかったの。あーあ。

カードなんてムリムリって思ってたから、カードタイプになったら何が起こるのか事前に情報収集してなかった。
憧れる対象(お財布に納まる理想的なサイズの許可証)を選べる選択権を目の前に出されて、ぽけーっとしてしまった。
持ち歩きにカードがいいのは当然だけど、何か更新手続きを求められるのか?
紙タイプかカードタイプか忘れたけど、5年か10年に1回は写真を更新しに行かなければいけないとか、何とか、、、?
どちらかだけは必ず更新しなきゃいけないとなると、おかしな話だ。写真の更新はいずれにせよ、いつかは発生するかと思うけど、カードそのものの更新に関しては、もしかすると他のタイプの滞在許可と情報が交錯してる?

友人は、10年以上前の紙タイプを本当にボッロボロのまま使っている。半端ない。折り目で破れてきてる。一応外国人は滞在許可証の携帯が義務なので、その友人は10年以上前から八つ折りにしてお財布に入れている。ボロボロになるのも当然だ。
自分の紙タイプがそんなことになったらと想像すると、他の国に行くときにそんなボロボロなのを出したら、それこそ怪しまれる気がする。

申請ばっかり気を取られて後のことまで考えてなかったし、さらに強調するように、あなたの更新手続きは、「丸5年経った翌日からでないと始められないので、9月の終わりで十分ですよ」と言われ、ラッキーな対応を受けたものの、「2ヶ月前から」と信じてた私にはちょっと空振り気分。

このブログを目にした方、イタリア人の配偶者がいらっしゃって、更新時にカードか紙か悩んだ方いらっしゃいませんかー。ぜひ、ご意見を伺いたいもんです、はい。

Friday 19 June 2015

20年ぶりに訪れた場所

4月に相方の伯父のお葬式があってから、5月に入ってさらに忙しくなり、あっという間に夏突入。
(ちなみに、お葬式に行くまで謎だった伯父の名前は、ジョルジョでした。霊安室の入り口に書いてあった。)

5月は前半にロンドン2泊、後半に2週間、ブリストルからバスで一時間ほどのウェルズ(ウェールズじゃないですよ、Wellsです)に行ってました。

私のヨガの先生がここ数年(とはいえ、私が指導を受けるようになったのは昨年からですが)、5月にイギリスでワークショップ、ティーチャートレーニング、ヨガ哲学の講義など開催されていて、今年は前半にロンドン、後半にウェルズという日程でした。
ロンドンの部分のメインは昨年受けたコースト同じだったので行かないつもりでしたが、、、。急きょ、「行くぞ!」と決めて、1日だけのワークショップに参加。ロンドンは相方も一緒だったので、初日に到着してからすぐにヨガスタジオに向かい、相方は自由行動。翌日2日間を二人でロンドン巡りしてきました。

そして帰ってきてからまたすぐに、今度は私一人でブリストル空港へ飛んで、バスを乗り継ぎウェルズへ。今度は13日間のヨガ哲学の講義へ。
このウェルズ。人口10000人ちょっとの小さな市で、電車もないので訪れるには少々不便なところ。でも、ヨガ哲学(今回は『バガヴァッド・ギータ』を一編ずつ見ていく長いコースでした!)の題材はもちろん、このウェルズには、どうしても行きたい!と思って、日本の貯金など駆使して予約して行ってきました!

ウェルズ市。イギリスの南西部、サマセットというエリアにある小さな都市で、近場の有名なところというと、ブリストルや、バースがあります。
このちょいと辺鄙なところにどうしても行きたかったのは、ちょうど20年前にひとりで訪れた土地だったから。まだ学生でした。
ふらっと行ったわけでもなく、そのときの目的はこれ。


Wells  Cathedral

ウェルズ大聖堂です。
私は大学の建築学科を卒業しています。その卒業論文に「ゴシック建築」をテーマに選んで論文を書きました(設計プロジェクトなんて考えようとも思わんかった、、、)。そのために(それよりも、旅行したいがためにテーマをわざわざ海外の建築に絞って)フランス、ドイツ、イギリスのゴシック教会建築を旅して廻ってたんです。

初めての一人海外旅行でした。行きたい教会をピックアップして、電車の乗り継ぎもユースホステル情報もぜーんぶ調べて旅程を組んで、、、。あぁ、懐かしい。
インターネットなんて、多分使ってなかったはず。電車はトーマス・クックの時刻表本とにらめっこ、ユースホステルも場所を調べるだけで予約も何もせず、その土地についたら「空き部屋ありますかー?」から始まり、あれば荷物を置いて、教会堂見学と街探索へ。(なければ、ユースをはしごです、、、。)

そんなふうに巡った教会の中で一番のお気に入りだったのが、このウェルズ大聖堂。
ドイツ、フランス、イギリスと造り方の基本や時代は似通っているけれど、まったく異なる様相を見せるゴシック教会建築で(語らせたらうるさいです、いや、うざいです)、それぞれ面白いところがあるけれど、入った瞬間に「うわっ!」と他とは違う強い印象を受けたのはこちら。



奥のシザー・アーチ(はさみ型のアーチ)です。写真などより、実際に目の前にアーチがあると驚きます、本当に。ものすごい重厚感で、こんな教会の造りがあったのかと。

イギリスに訪れたのはこれが6回目です。この教会に圧倒された学生のときの旅行、その後、1回目の旅の途中、小さなご縁で出会ったご夫婦のところに遊びに行く目的+大学卒業旅行と称して再訪、その数年後、またそのご夫婦に会いに3度目のイギリス。
10年ほど前にそのご夫婦(私の両親くらいの年齢の方々です)が、数ヶ月違いで亡くなってから、何となく足は遠のいてました。

昨年、東京にいらっしゃる私のヨガの先生から、素晴らしい先生を紹介していただいて、その先生がイギリスにいらっしゃるということで受講しに、久しぶりのロンドンへ。
亡くなったご夫婦の息子さんご夫婦とは時々連絡をとっていたので、久しぶりにロンドンに行くことを伝えると、「ロン(亡くなったご夫婦の旦那様)のコレクションで、あなたの名前が入っている電車があったのを覚えてる? 私の手元にあるのだけど、滞在しているホテルに送ってあげましょうか?」と。

亡くなったロンは、電車や飛行機のコレクター。家には壁はもちろん、どこもかしこも、モデルや絵や雑誌が所狭しと並んでいて、本人はバスの運転手をしていたこともある本当の乗り物オタク。ロンは私と出会ってから、新しく手に入れた電車のモデルに、なぜか私の名前のプレートを特別に作ってもらってつけてたんです。奥さんのマリーの手紙にも書いてあったし、実物も訪れたときに見せてもらったことを覚えてました。
それが残っていることに私はびっくり!

滞在は1週間あったので、その間に泊まっているホテルに私の名前入り電車を送ってもらい(これが綺麗に箱までとってあって、しかも絵皿つきの特別バージョンだった!)、受け取って開けたときには、20年近く前の思い出が蘇ってきて、もう号泣。
これが4度目のイギリス再訪のとき。

そして今年、5月に2回イギリスに訪れているので、5回目、6回目と連続したわけだけど、6回目の今回は、偶然にもヨガ哲学の講義がウェルズで、あの大好きな大聖堂を再訪。講義は、上の写真の大聖堂の左側に見える建物の横だったので、毎日、大聖堂の前の大きな芝生を横切って通いました。

小さな小さなご縁(ヨークの鉄道博物館のカフェでひとりでお茶を飲んでいたところ、ご夫婦に「こっちのテーブルにおいで。一緒にお茶を飲もう」と誘われたことが始まり)で、始まったイギリスと私の関係。
ヨガがからまって、何だか新しい方向へ向かってます。
でも、ヨガの先生がイギリスにいらっしゃるのは今年が最後とのこと。残念。

来週は、また妙なご縁で相方がひとりでイングランド北部のダーラムという街近辺を散策することに。
また新たなイギリスとの関係が築けそうな気配です。

Monday 27 April 2015

亡くなってわかる(だろう)事実

相方の伯父が昨日亡くなった。今日、そちらの自宅へ伺うか、お葬式をするときに伺うことになると思う。ということで、私たちは相方のお母さんの行動に合わせるため連絡待ちの今朝。

考えてみると、、、。
私、この伯父さんの名前を知らない。何度も会っている。でも、みーんな、奥さんである伯母さんも、この伯父さんを姓名の姓の方で呼ぶのだ。

私たちが結婚したときに、この伯父伯母からプレゼントをいただいた。このプレゼントについていた名刺スタイルのカードには、伯父伯母の名前と娘たちの名前が書かれている。
伯父の名前の部分は、もちろん姓で。

相方にも聞いたことがある。「あの伯父さん、名前は何て言うの?」と。
実は、相方も知らない、、、。出会ったときから姓で呼んでるから。ほぼニックネームのように。

この伯父に最後に会ったのは、確か今年の1月の終わり頃。義母にランチを誘われて行ってみると、この伯父伯母も来ていた。ここ数年は治療生活で、住んでいるところはそう遠くなくとも、会う機会がなかなかなかった伯父の元気そうな姿に会えて、私は嬉しかった。
まだ私がイタリア語を話せないと思ってか、英語で一生懸命考えて、隣に座った私にゆっくりと話しかけてくれた。正直、私の英語レベルでも気付くほど、無茶苦茶な英語だったけど、一生懸命話しかけてくれることが私には嬉しかった。その場にいた義姉が、何度も「○○○(伯父の姓)、この子、イタリア語話すわよ」と伯父に促すけれど、伯父は聞いているのか聞いていないのか、英語で話し続けた。私も英語で答えた。私にとっては何語でもいいのだ、話ができるのだから。

さて。私には名前が不明なまま他界した伯父。昨年には初孫が生まれ、とても嬉しそうだった。赤ら顔でいつもにこやかな伯父だった。相方家族の旦那様にあたる方なので、相方家族とは違った気質の人に会えることも私には世界が広がる感じがして嬉しかった。
名前がわかったら、呼びかけてあげよう。

Thursday 9 April 2015

他人の掃除に文句をつける人

「イタリア人」と「掃除」。このキーワードはまだまだ続く。

掃除を誰かに依頼する人が多いイタリアの家庭(ビジネスとして)。夫婦共働きの家庭で、完璧な掃除を求めようとするからではないかと私は踏んでいる。そういうビジネスがあるからいいではないか、それは。
アイロンかけだけに雇われる人もいる。大概は外国人がそういった職業に就くけれど、時にイタリア人の掃除やアイロン好きなおばちゃんが働いてたりすることもある。

それはよしとして、、、。

私の周りに、人に頼んでおきながら、その掃除に裏で文句を言う人がいることも私は知っている、、、。「あんまり綺麗になんないわよね」と苦笑しながら。これはいただけない。

裏で文句を言うなら、頼まなきゃいいのにって思うんだけど。他の人に変えるとかさ。
でも、その人は同じ人に頼む。何かに文句を言いたいだけなんだろうな、こういう人は。

ついでに批判的に言わせてもらうと、その人は40歳で初めて子供をもち、子供が生まれるまでリンゴの皮をむいたことすらなかった。マンマが皮を剥いて出してくれてたから。

こんな完璧なイタリアンマンマの下で育った人もいるんだなーと、社会勉強にもなった瞬間だった、、、。

そして、消費期限前の食べ物をついこの前まで捨てていた人である。(「今は捨てないわよ」と言ってたが。)

私の適当な掃除に文句を言わない相方に感謝する瞬間でもあったけど、相方家族から「あの子、掃除できないんだわー」と裏で言われているのかもしれないとも思った。

いくらでも言ってくれい。私は掃除が非常に苦手なのだよー。

Wednesday 8 April 2015

掃除方法を知らないイタリア人に笑われた話

「イタリア」「掃除」というキーワードが出てくると、話が止まらん。

イタリアに来て困ったことのひとつ。
掃除の仕方がわからん、、、かった。

掃除機というものは存在するらしい。(当初、わが家にはほうきとちりとりしかなかった。)
で、あとは、、、?

スーパーにはずらずらーっと並ぶ掃除用洗剤。何をどう選べば良いのかわからない。
相方に聞いてもわからない。(掃除しないで育ったみたいよ、この人も。自分なりの掃除はするけどね。)

そんなわけで、相方マンマの家に来る掃除してくれる人に一度来てもらって一緒に掃除してもらった。(イタリアに来てすぐのことですよ。)
そうすると、「この日本人はきっと掃除機のかけ方すら知らないんだわ」と勘違いされ、掃除機の使い方から指導が始まった。
いや、そんなとこはいらんから、洗剤の種類の違いを教えてくれと、つたないイタリア語で伝え、相手もわかってくれて、家にあった洗剤をずらっと並べて説明が始まった。

「これはガラス用。乾いた布でこうやって拭くのよー。鏡とか、窓とか、テレビの画面とかね。これは家具用。これもほんの少しだけ乾いた布につけて木の家具を磨くのよ。これは床用、使うときはほーんの少しね(と言いつつ、どばっとバケツに入れてた)。こっちは床用の洗剤で掃除した後に、さらに清潔にしたいときに使うもの。これはトイレ用。お風呂、トイレ、洗面台にはアンチ・カルカーレ(石灰成分対策)がいいわよ。これはオーブン用(油分落とし専用)ね。このボトルはアンモニア。こっちはアルコール。」
もう、わけわからん。だいたい、何でこんなに洗剤を揃えたんだ?(私が買ってきたのではない。)
とりあえず、メモにしてみたものの、わからん。もうちょっとシンプルにできないもんだろうか。

掃除嫌いが、さらに嫌いになる。

床掃除が基本なのだろうが、掃除機かけて(もしくは箒で掃く)、モップで拭く。その後、床が乾くまでそこを歩けないのだ。跡がつくから。
なぬー? この不毛な待ち時間は、、、?

なんつー面倒くささ。

ふと、この面倒な掃除を、イタリア人はどれくらいの頻度で行っているのだろうか?と疑問に思った。

チャンスがあったときに、義妹にちょっと聞いてみた。
「イタリアの掃除の仕方が全然違うからよくわかんないんだけど、どれくらいの頻度で掃除してるの?」と。

頻度を答えてもらうよりも、一気に笑われた。「掃除の仕方がわからないのー?」と。

正直、、、傷ついたよ。笑われても仕方ないネタかもしれないけど、笑うんだ、やっぱり。こんなとき、改めて気付く。人のことを安易に笑ってはいけないのだ、と。
人の振り見て我が振り直せ、の瞬間であった。

それは置いといて、、、。今ではイタリア語が多少わかるようになってきたせいか、いまだに義妹はあの会話を思い出すと笑ってしまうらしいけど、私は以前のように傷ついたりしない。

ある日、義妹が「前にこんなことがあったのよー」と私が始めて掃除の質問をしたときのことを周りのイタリア人に話し始めた。
笑うイタリア人たち。
「じゃあ、あんたたち、掃除の仕方を他の国から来た生活様式の違う人に全部説明できるの?」と言ってみた。
我に返って黙る人もいたけど、乗り出して「当然さ!」と言わんばかりに説明し出すイタリア人も。
あぁ、私もムキになって切り返すんじゃなかった。掃除もろくにしない人が掃除の蘊蓄を私に語り始めたのだ。しかも自分の掃除武勇伝ではなく、マンマや奥さんのマンマがいかに素晴らしい掃除をするかということを。

こんな人は、とーってもウザい。そんなときは、イタリア語がわからない振りをして逃げる。外国人という立場を利用して。

昨日、久々に家のモップかけをしながら、そんなことを思い出してた。掃除が嫌いな上に、笑われたイヤな思いを思い出すので、本当はモップかけなんてしたくなーいと毎回思うのだ。


Tuesday 7 April 2015

やっぱりイタリアの学校って生徒に掃除させないのね

異文化に触れて驚くこと、多々ありますわなー。

先日、甥っ子の中学校行事に参加して、火を使わずにできる料理というものを教室内で行い、廊下に並べたテーブルにできた料理を並べて、生徒、先生、保護者そろってみんなで食べた。

総勢200名ほどはいたかと。

終われば、それなりにぐちゃぐちゃですわ、食べ散らかした後はもちろん、料理した教室も。

この状況の中、行事の一環として生徒に「さぁ、食べ終わったから次は片づけの時間ですよ」ということにはまったくならず、「片づけなさい」という先生も親もほぼいなかったことにはびっくり。

びっくりというか、イタリアの学校では子供に掃除をさせないと聞いてはいたので、それを目の当たりにして、冷たい目線になってしまった。

学校で子供に掃除をさせない理由は知らない。でも、こんな行事をして、食べるだけ食べて、紙皿をぽいっとそこら辺に置いて行く子どもたち。これに、「片づけなくても良い、ゴミ箱に持っていかなくてもよい」という理由はないと思うんだけど、、、。

200人ほどが飲み食いしたのだから、あたりは相当な散らかりようだったけど、これを掃除したのは誰か。

その場にいた先生と、一部の保護者である。

その間、生徒はどうしていたか、、、。遊びに夢中。先生からの指導はなし。
使わなかったお皿などを戻しに来た子はいたけど、進んで掃除をする子はいなかった、、、。
中学校の1,2年生が主体だったので、12歳前後の子たちである。

家庭でも大概は、親が掃除してくれるか、掃除をしに来てくれる人を雇っている。
だから、基本的に掃除方法を学ぶなんてことがないのだ。

掃除をさせないことに何の理由があるのか知らないが、私が一番イヤだなーと思うのは「掃除をしない人は、散らかすこと、汚すことを気にしない」こと。
だって、誰かが掃除して綺麗にしてくれるから。

イタリアのマンマたちは性格が強いだけでなく、家庭をきちんと保つ強さがすばらしい。自宅を掃除するマンマは徹底的に掃除する。子供に手出しなんてさせない。家は塵一つ、曇り一つなくピッカピカである。
徹底的に掃除するマンマ、もしくは掃除のために雇われている人が家にいて、学校では掃除をしない。
どこで掃除を学ぶのだろうか。ない。
必要になったらどこかで覚えるんだろう。ラッキーな人ならば、一生掃除をしなくてよい生活を送るかもしれない。

さらに言えば、昔から食洗機を導入しているイタリア。お皿や鍋の洗い方を知らない人もわんさかいる。大人になっていざ、食洗機のない家に住み、洗わなければいけないというときには、鍋など内側を洗っても、外側を洗わないのだ。お皿も内側を洗って、外側を洗わない。

さ・れ・ど。
不思議なのは、こんなイタリア人たちも、料理だけはきちんと家の味を習う人が多いこと。
「マンマに習ったの」「おじいちゃんのこだわりの味」など、おいしいものには家族の秘訣が隠されていることが多い。
料理を教えるならさ、ついでに片づけも教えたら良いんではないのかい?と思うのは私だけだろうか、、、。

Monday 6 April 2015

生春巻き、子どもたちにもウケました!

中学校1年生の甥っ子の学校行事で、外国の食べ物を作ろうという企画があり、父母ミーティングなるもので中学校に初潜入し、先々週の土曜日、行事参加に行ってきました!

前日になって、「私も行くから」と行っていた甥っ子の母親、私の義妹(年上だけどね)は仕事で行けないとわかり、ギョギョー!とひとり焦ってたけど、行けないものは仕方ない。
朝、甥っ子を車でピックアップして、朝8時の開始に間に合うように行きました。

だが、しかーし。

学校の前には人だかり。そう、学校が開いてないのだ。
待つこと約20分。ようやく8:20になって開校。どうなんよ、これ。

それはよしとして、子どもたちはがんばってくるくると生春巻きを巻いてくれました。
(写真を載せてましたが都合により削除しました。)



できあがったものはこちら。


ソースにタイの甘辛ソースと、念のため、口に合わない人がいたら困るので、マヨネーズも持っていっておいたけど、意外にもタイの甘辛ソースのウケが非常によくて、マヨネーズをありあわせのように持っていった意味はあまりなかったかも。
お皿に出したソースを、子どもたちが指突っ込んでなめる。やめてくれ〜。


学校入り口の廊下にずらずらーっと並べた各国の料理。
クスクス、サラダ、ホットドッグなど色々。火を使わずに時間内にできるものという制限があったので、なじみのあるイタリア料理もちらほら(ティラミスとか、電気オーブンで焼くだけのピザとか)。




頼りになる義妹なしに乗り込んで、ドキドキしたけど、同じクラスのお母様がたが気さくな方ばかりで助かりました!
8時から13時までという時間枠だったけれど、片づけを含めても1時間半ほど前には終了。
でも帰らせてもらえない、、、。

なぜかというと、この行事、通常の学校時間の埋め合わせのために開催したんだとか。
だから、規定の時間を子どもたちは学校に拘束されなければならないわけ。ほー、そんな裏事情があったのか。

子どもたちは中庭で遊び始め、手伝いに来ている母親たちも、子どもたちを置いて行くわけにもいかず、廊下でおしゃべり。

親たちはできれば帰りたいと思いつつも、仕方ないのでおしゃべりで時間潰し。

しばらくして先生が、「記録するので、帰宅してもいいですよ」と言ってくれて、「どの生徒が何時何分に誰と帰宅した」というメモに父兄のサインを入れて帰らせてくれた。ほっ。

その後、昨日のパスクアで、甥っ子は相当生春巻きが気に入ったと見え、家族ランチに生春巻きを作ってくれた。中身がすこーしばかり寂しい生春巻きだったけど、とってもおいしくいただきました!

行事では周りのお母さん方も興味津々で、これ、私も作りたいわーとメモしてってくれました。密かにこの街で生春巻きが流行ったりしてね。

なんだかんだと、幼稚園から大学まで、一通りのイタリアの学校潜入を果たした私(果たすことが目的ではなかったけど)。
幼稚園2ヶ所で折り紙を教え、小学校ではヨガ、中学校の行事参加、高校は相方が美術の授業を行った後の発表の場にくっついていき、大学は年金受給対象者向けの折り紙指導(会場が大学だったというだけ)。イタリア経験、積んでますよー。

Tuesday 17 March 2015

中学校の父母ミーティングでツッコミが入ったおじさん(+イタリアの教育)

先日、甥っ子のために中学校の父母ミーティングに参加してきました。
話題は、学校行事の「海外の食文化に触れよう」というもので、生徒が5人くらいのグループになって、火を使わずにできる(ミニオーブン、電子レンジはあり)料理を作って、みんなで食べる企画。火を使わずに、といっても、調理が必要なものは、家で父母が用意することになっている。
24グループあり、各グループが違うものを作るので、24個のレシピを挙げて欲しいというのがミーティングの主題。

私たち夫婦は子供がいないので、父母側の立場でミーティングに参加することなんて、まず、ない。でも今回は、家族に外国人がいる児童は招待しても良いので、甥っ子から招待されたわけ。
噂に聞く父母ミーティング、甥っ子の母親(義妹、年上だけどさ)と一緒にいってきました。

20人ちょっと集まっている父母会で、ひたすら見ているだけで、個人的に発言を求められない限り黙っている人が約半数。
聞いてもいないのに、勝手に適当な感想を大声で述べる母親数名。(こういう人ほど、声がよく通る、なんでだろう。)

たとえば、義妹は、全員に意見を求められたときに意見があれば発言するし、先生が黒板に書ききれず「どなたか記録をとってもらえませんか」というときに進んで手をあげるタイプ。

そしてその他の人は、、、。
一生懸命発言する、そう、こういうタイプの人たち。

先生が「どなたかシェフがいらっしゃると聞いたのですが、、、」というと、少し控えめに真ん中あたりから手が上がった。
「私です。フランス人です」と。
先生は喜んで「あらー、フランス料理を子供たちに指導してくださったら嬉しいわー」と。周りの父母も期待のまなざし。

いざ、メニュー名を挙げていく段階になり、このフランス人シェフは「私は○○を提案します」とフランス語のメニューをいい、先生がそのまま黒板に記録した。
その後も、積極的に発言しフランス語のメニューを挙げてくれた。
「下準備が必要なものは私が用意してきますから」と。

そこに質問が。
「あの○○ってメニュー、どんな料理なんですか?」と。

そりゃそーだ。私もわからん。

それがこのフランス人シェフ、「まぁ、フランスの料理なんですけど、タルトのなんちゃらかんちゃらで、、、」と簡単に説明を済ませようとした。

質問した母親は「タルトなら、火を使うのではないですか?」とさらに質問。

フランス人シェフは「私が用意してきますから」と答えるだけ。

また別の母親が「子供たちは何ができるんですか?」と質問。

それにも「えーと、こうやってああやって、、、」と、もごもごと言い、「私が用意してきますから」と。

別の母親が「一体、どうやって作るんですか?」と質問。

「えー、準備は私がするので大丈夫です!」と言い切った。

イライラした母親の一人が一言。
「あなた、どんだけ秘密なんですか? ”私が作ります”、”私が準備してきます”って、全然わかりませんけど」と。

当然だわなー、このツッコミ。

それでも、「ええ、まぁ、、、」と、説明しないフランス人シェフ。こっちも強い。

こうなってくると、周りの気が抜け始め、大声で教室の端と端で打ち合わせをし出す母親たちや、先生の近くに行って直接話し出す母親はどぐちゃぐちゃになってきた。

帰り出す親たちを見て、先生は「作るメニューだけは決めて申告していってくださいねー!」と叫ぶ。
このぐちゃぐちゃ具合に乗じて、私と義妹は「うちのグループは生春巻きを作りますから」といって出てきた。

ここで私は思った。
親戚の家庭しかり、知り合いの家庭しかり、今短期でヨガを教えに行っている小学校しかり、子供が大人に話しかけ、大人の気を引きたいとき、一生懸命気を引こうとするけれど大人は「今話し中だから待ちなさい」と必ず制する。後から子供に話しかけて聞く大人もいれば、忘れてしまう大人もいる。こちらに来た頃、ここまで子供の話に耳を傾けないのか、とびっくりしたこともある。
話し中の大人の邪魔をしてはいけないという教育だけれど、私にはこの教育は果たしてイタリア人には効果があるのだろうかと疑問に思っている。
理にかなっていようがどうだろうが「人より声が大きく相手を黙らせた方が勝つ」社会。人の話を聞いてから、人より大きい声を出して相手を黙らせるわけではなく、誰かが話している途中にさらに大きな声を出して黙らせるのが常。
侵略し、侵略され、歴史を歩んできたイタリアなので、こういう性質が染みついているとイタリア人たちは説明するけれど、小さい頃から「話し中は待ちなさい」って教育されたんじゃないの?と思う。
日本で育った私も、他の在伊邦人も、イタリア人の会話に入り込めない、自分は途中で大きな声で切って入っていくことはできない、と口にする。そうなのだよ、自然と聞く耳もっちゃうのだよ。
聞く耳をもつことは、私はいいことだと思っている。相手の話を聞き、自分の意見を言う、会話のキャッチボールが生まれると思っている。だから、覆い被せるように相手を黙らせようとするイタリア人が苦手である。

そんなとき、どうするか。
冷静に聞いて、あとは負けないだけ。東洋人の冷静さがモノを言うのはここ。
相手に巻かれたら負け。意思をもって冷静に接するべし。はい。
でも、自分の主張が通らないと気付く人は、割りと逃げて消え入るように主張をやめて、こちらは答えが欲しくとも、なあなあなまな会話が終わることもしばしば。
上記のように、フランス人シェフからきちんと答えをもらえなかった母親たちはあきらめたように話題を変え始めるといった状況になる。黙る側が「あきらめ」ならば、まだよい。これがただの「逃げ」態勢で黙り込まれる場合、「相手が声を荒げてきて私はイヤな思いをしているのに、何の会話だったんだろうか、、、」と腑に落ちない気分になることもある。こんなとき、最初は「私のイタリア語が通じなかったから、会話をやめてしまったのだろうか」と気にしたこともあったけど、今では大した内容ではなかったのだ、と流すことにしている。これが後から気を揉まなくて済む最良の方法かと。




Friday 13 March 2015

イタリアの学校の父母ミーティングに行ってみた(子供はいませんが)

先日、イタリアの中1になる甥から電話がかかってきた。
「学校で外国の食文化のイベントがあるんだけど、来てくれる?」と。
「喜んで行くわよー!」と返事をすると、ほっとした様子でお母さんに電話を代わった。
話を詳しくもう一度聞くと、中学校で「外国の料理を作って食べよう」というイベントを開催するらしく、家族に外国人がいる人はこのイベントに招待して良い、とのこと。甥っ子は「僕の叔母は日本人だ! 連れて来る!」と意気込んだらしい。

当日に参加できる父母の代表が前もって集まり会議するというので、今日、甥っ子の母親(私の義妹)とともに会議に参加してきた。

私たちが着いた頃にはすでに始まっていて、20人ちょっとの父母が集まり、二人の先生が議長として話をしていた。
見回してみると、明らかに顔でわかる外国人は私のみ。まさか、呼ばれてないのに来ちゃったのか、、、?
でも、会議の途中で、父親らしきひとりが「私はフランス人ですが、、、」と発言したので、ほっ。

先生の話では、いくつかレシピは用意したけど、24グループあるので、1グループ1レシピで24レシピ考えて欲しいと。
ならば、思いつくレシピを出していこうと、それぞれが口々にレシピを挙げ出す。
条件は、
・子供が簡単な調理だけで作れるもので、片づけも含めて5時間で終わらせること
・火を使わない(だから、準備できるものは家で父母が準備する)、学校で使えるものは小さなオーブンと電子レンジのみ
・子供が食べそうなもの
・生卵を使わない
・乳糖不耐性、グルテン不耐性には気をつけること(絶対ダメというわけではない)
などなど。

出てきたレシピは、クスクス、ホットドッグ、フムス、ギリシャ風サラダなどなど。
そこに、「春巻き」が入ってた。
「春巻き」と聞いて大抵のイタリア人が想像するのは、中華風の揚げたもの。「火が使えないから、これはダメね」と却下になりそうなところを私が「ライスペーパーで生春巻きにすれば大丈夫ですよ」と言うと、ほぼみなさん、きょとん?と。「なーにそれ? どこで買えるの?」と聞かれたので、「ときどき(街に1件だけある)中華食材店で売っていて、水に30秒もつけてから材料を巻き込むだけだから、子供も楽しめると思います」と言うと、お母様方、経験者のあなたが言うならって感じに納得してくれ、大きな話題にもならず、私は「生春巻き」作りを手伝うことになった。

どんどんメニューの名前が挙がっていくと、だんだんネタがつきてくるのか「ブルスケッタ」「ジェノベーゼソース」「マチェドニア(フルーツポンチ)」と、それ、ガチのイタリア料理じゃーんっていうものが挙がってくる。
先生も「リグーリア(ジェノベーゼソースの発祥地、ジェノヴァがある地方)料理、いいアイデアね!」と喜んじゃって、誰もツッコミをいれる様子もない。ジェノヴァは外国とちゃうやーん。

挙げられたレシピの中で、誰も謎に思わないけど、私一人が謎に思ったものがあった。(声には出さなかったけど。)
「リゾ・カントネーゼ」。広東風の米料理。私は、それはチャーハンのようなものをさすのではないのだろーかと思った。そうじゃなーい?
義妹に「リゾ・カントネーゼって何? 私の思うリゾ・カントネーゼは、仕上げに火を使うと思うんだけど」と聞いてみると、「私はわかんないわー。でも、親が米を調理してきて、当日は子供が何かできるんじゃないの?」と。

それって、、、イタリア風のライスサラダとごちゃまぜになってないか?
イタリア風のライスサラダは、パスタのように塩を入れて茹でたお米に、後から調理済みの野菜やら何やら好きなものを混ぜて、オリーブオイルをどしゃどしゃーっとこれでもかってほどかけて和えるもの。
この方法をもとにした、広東風の米料理になるのか、まさか? ぞぞぞー。

なーんか奇妙な料理が並ぶイベントになりそうな、、、?
でも、楽しそうじゃないの、無茶苦茶になりそうで。
要は子供たちが手を動かして楽しめればいいのだから、妙なツッコミは墓穴を掘るだけになりそうなので、私はひたすら黙っておいた。

お寿司を作りたそうなお母さんがひとりいたけど、私に白羽の矢がたたなくてよかった。
後から考えてみると、私に「寿司を作ってくれ」と言われなかったのも、当然なのかも。
私が住んでいる地域ではお寿司を出すレストランは中華料理屋と決まっている。(1軒だけ日本料理屋があるけれど、普段は日本人の料理人がいないし、オーナーもイタリア人なので、あまり知られていない。)
お寿司=日本料理という図式があったとしても、日本がアジアのどこにあるのか知らない人も多い。私もヨーロッパの国々の場所を全部言えと言われてもできないとこもあるので、そんなこともありえるでしょう。
私が教室に入ったときに「あなたが、日本人の叔母さんって方ね」と先生が父母の前で言ったものの、アジア人顔は「日本人」と説明があっても、次の瞬間には全員がそんなことを忘れて、「あなた、中国人ではなかったわよね、だったらタイ人?」とそんな感じなので、お寿司の国から来た人がいるなんてことを、誰もが忘れてるはず。
あー、よかった。このイタリア人の適当加減。誰も「あなたの国の料理は、、、?」なんて尋ねてくることもなかった。

妙なツッコミも質問もなく、生春巻き作りを子供たちに教えて作るということに決まったので良かったー。

でも、妙なツッコミが入ったのは、「フランス人です」と言った父親だった。
その話は次回にでも、、、。


Wednesday 25 February 2015

ほんの少しのコミュニケーション

昨日は1日中雨。
一昨日仕事が一段落ついて「よーし! 出かけるぞ!」と相方の仕事の都合もつけさせて、昨日の朝は早起きして、水筒にお茶を用意し、、、朝のうちにやらねばならないことを終え、、、。
まさか、この曇り具合は朝の暗さではなく、天気の悪さ?とようやく気付き、外歩き計画が台無しだーーー!と、ふて寝(二度寝)したほど。
1週間ちょい前にも、こんなことがあったもんだから、グレーの空にほとほと嫌気がさしてました。

そして今朝は太陽が!
でも、仕事があんのよねー。
「ま、そんな日もあるのさ」と色々していたら、玄関のブザーが鳴った。

出てみると、ものすごーい甲高い声で「郵便ですぅ。荷物が届いてますぅ」と。

そうそう、先日イタリアのアマゾンで購入した本があったんだ。
配達予定は明日だったのに、1日早まった。先月も2回続けて配達日が1日早まったことがあったので、「やるじゃん、イタリアの配送業務」と偉そうに思っていたところ。
(ちなみにイタリアのアマゾンが梱包発送する普通便で、注文は21日、発送は23日、到着は25日。相当早くなったと思う。でも、毎回配達業者が違うのは何でだろう。そんなにいくつも倉庫があるのだろうか。)

アパートの入り口に出るときに、隣の大家さんご夫婦もお出かけするようで出てきた。
大家さんの奥さんがこの配達担当のお姉さん(おばさんなのかも?)とお知り合いのようで、「仕事に復帰できたのね! 心配してたのよ」と声をかけていった。

どうやら、この配達担当のお姉さん(サングラスでわからないけど、お姉さんにしとく)、消化器系を患ったらしく、「ちょっとひどくて仕事できなかったけど、今は落ち着きました。もうすぐ大腸カメラでチェックするんです」と。

私も消化器系を患っていて(20年くらい軽症でおさまっているのであんまり心配ないけど)、イタリアに来てからも定期的に消化器科の診察を受けている身。
他人事とは思えん!と、「私も消化器系の病気があって、定期的に診察や検査をしてるんですよー」とお姉さんに声をかけてみた。

お姉さん、甲高い声で「そうなんですねー、お互い気をつけないと、ですね」と、サングラスのままでも非常ににこやかさがわかる笑顔を返してくれた。

そしてお互い「お大事に」「ありがとう」と交わして、荷物を受け取った。

何だか気持ちいい朝じゃないですかー。
今日の仕事、がんばれそうですよ!(今は3ヶ月の短期で週に1時間、近所の小学校の2年生にヨガを教えに行ってます!)

Thursday 29 January 2015

やっぱりなかった、私の名前

学校の合格発表を見るようなタイトルですが(合格発表は受験番号だよねぇ)、久々にこのタイトルのようなことを実感。
私の名前、ごくごく普通ですが、漢字からでは素直に読めない。読み当てた人に出会ったことはかつてなし。たまにいるでしょ、名前を呼ばれて、読み方を訂正しなければいけない人。私、それ、それ。

最近、ノートブックの調子が非常に悪くなって、かなりお疲れモードなのでOSを再インストールしたり、色々と駆使してました。
長年、自宅ではMacユーザーです。最初から入っている日本語変換の「ことえり」をずっと何も気にせず使ってましたが、ここ数年は、人に奨められて「かわせみ」という日本語変換ソフトを購入して使うようになりました。

1回ライセンスを購入したら、OSを再インストールしようが、コンピュータ本体を買い替えようが、ライセンス規定に沿っていれば使えるもの。
それが、ショックなことに、ライセンスコードが書いてあるメールだけが文字化けして読めない! 誰かの陰謀?
「ことえり」に戻るか、、、と思って使ってみると、やっぱりしばらく慣れてしまった「かわせみ」に勝てない! 慣れって怖いもんだー。OS再インストールしても危ういノートブック、プラスして慣れた日本語変換ソフトがないと、作業効率がさらに落ちる、落ちる。

そんなわけで「かわせみ 2」とやら、新しいバージョンを購入しました。

そしたらね、変換中に追加候補として「人名地名辞書」がすぐに出てくる。こんなの昔はあったかしら、、、気付かなかっただけ?

で! 私の名前をひらがなで入れて変換してみた!

こんなにあんのかいな! と驚くほど、私の名前の漢字に負けず劣らず読めねーよという漢字の変換は出てくるけど、私の漢字は出てこなかった。

なかった、、、。

私の名前は、つけたい漢字が先にあって、後から読み方をつけられたと親から聞いている(後からつけなければならなかった理由、素直に読まなかった理由もある)。選んだ漢字の由来はわかっている。でも、この読み方になった由来は全くもって謎。もう40年以上もこのまま暮らしてきたけど、次回帰ったら改めて聞いてみようかなー。

Thursday 1 January 2015

新年最初のやられてもーた!

大晦日の夜というと、(日本に帰国してるとき以外は)相方の実家(車で数分)で過ごす私たち。
相方の家族と過ごすわけではなく、家人が出かけて誰もいない家で、自分たちの家より大きなテレビで映画を観るという過ごし方をしている。
年を越して、そろそろ寝るか、というときに自分たちの家に帰って寝るという、単に実家を利用させてもらってるだけ。

昨日は実家に行く前に、近所の友人宅でおいしいアペリティーボをいただき、私たちは実家に移動して、いつものように食事して映画を観て(『テルマエロマエ』の1と、ジブリのドキュメンタリーを鑑賞)、夜中の3時頃に家に帰ってみたら、、、。

アパートの大扉が開かない!

大扉というのは、ヨーロッパにありがちな、建物の入り口の大きな木の扉のこと。
常に閉まっていて、中に入る人は鍵で大扉についている小さな扉を開けて入る場合が多いけれど、うちの場合は、昼間は大扉を開け放し、夜だけ閉めておくというスタイル。
だから夜遅く帰ってくると、大きな鍵を使って開けて入らなければならない。

その鍵が回らない!
家に入れない!

外はマイナス5℃とかそんな状態。
大扉を開けられず家に入れなかったのは2度目なので(数年前の夏にも一度あった)、夜中の3時にガチャガチャと試さず、即、ダンナの実家に引き返して、あちらで寝た私たち。

あー、やられてもーた!
(誰のせいでもないけれど)

先ほど、隣に住む大家さんに声をかけたら、寒さで鍵が凍りついていたのだろうと、、、。問題の大扉は、今朝は2階のおばさんが、内側からいつも通りに開けたらしい。
前回同じことがあったときは、大家さんの息子が夜遅く帰ってきて、内側から鍵を閉めたら錠前がひっかかって動かなくなってしまった。それで、後から帰ってきた私たちは入れなかったのだけれど、今回は、凍てつく寒さのためということで、、、。

ダンナの実家が近くにあって(ダンナも鍵を携帯してて)、暖かくて、食べるものもあって(昨日は私たちが持ち込んだ)、誰が来てもいつでも寝れるようになっていて、、、。これ不幸中の幸い。

かわいそうなのは、一匹取り残されたネコ様。
わが家の暖房は自動ではなく、家の中からスイッチを入れなければいけない。朝早くにはウ○コさんをすると、寝室の外でミャーミャーとお知らせしまくり、お腹が空いたと騒ぎまくる。

今朝、自分たちの家に帰ってきて、扉を開ける前からミャーミャー騒ぎ出すと思っていたけど、なぜか静か。
取り残されたことに怒っていないのかな、と思いきや!
ネコ用トイレの外と、人間用トイレの足下に放尿してあった、、、。ガーン。新年早々の仕事がネコの粗相の始末。道理で、ミャーミャーせずにしらーっとすましてたわけね。

新年スタートがこれだから、今年はこれからもっといいことある(はずだ)ぞー!